一遍聖は、俗姓は越智氏、河野四郎通信が孫、同じく七郎通広が子なり。延応元年予州にして誕生。十歳にて悲母に後れて、始めて無常の理を悟り給ひぬ。遂に父の命を受け、出家を遂げて、法名は随縁と申しけるが、建長三年の春十三歳にて、僧善入と相具して鎮西に修行し、大宰府の聖達上人の禅室に臨み給ふ。
一遍上人は、俗名を越智氏と申し、河野四郎通信の孫に当たり、同じく七郎通広(河野通広=別府通広)の子でした。延応元年(1239)に予州(伊予国。現愛媛県)で誕生しました。十歳で悲母([慈悲深い母])に先立たれ、はじめて無常の理を悟りました。父(河野通広)の命を受け、出家を遂げて、法名随縁を名乗りましたが、建長三年(1251)の春十三歳で、僧善入とともに鎮西で修行し、大宰府の聖達上人(法然上人の孫弟子)の禅室に参りました。
(続く)