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上人学問のためならば、浄土の章疏文字を読みをして来たるべき由、示し給ふによりて、独り出でて肥前国清水の華台けだい上人の御許に詣まうで給ひき。
聖達しようたつ上人は学問をしたいのであれば、浄土の章疏([仏典の注釈書])に書かれた文字を読んでから来なさいと、示し申されたので、随縁(一遍上人)は独り禅室を出て肥前国の清水寺(現福岡県鞍手郡若宮町にある寺)の華台上人の許を訪ねました。
(続く)
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