今度平氏の首大路を渡されざらんにおいては、自今以後なんの勇みあつてか凶徒を退けんや」と、しきりに訴へ申されければ、法皇力及ばせ給はず、遂に渡されけり。見る人幾千万と言ふ数を知らず。帝闕に袖を連ねしいにしへは、怖ぢ恐るる輩多かりき。ちまたに頭を渡さるる今は、また哀れみ悲しまずと言ふことなし。中にも大覚寺に隠れ居給へる、小松の三位中将維盛の卿の若君、六代御前につき奉りける斎藤五、斎藤六、あまりのおぼつかなさに、様をやつして見ければ、御首どもは、皆知り奉りたれども、三位中将殿の御首は見え給はず。されどもあまりの悲しさに、包むに堪へぬ涙のみ茂かりければ、余所の人目も恐ろしくて、急ぎ大覚寺へぞ帰り参りける。北の方、「さていかにやいかに」と問ひ給へば、「人々の御首どもは、皆見知り奉たれども、三位中将殿の御首は、見えさせ給ひ候はず。
今平氏の首を大路に渡されないのでしたら、今後どうして勇気を持って凶徒([悪行を働く者])を退治できましょうか」と、何度も訴えを申したので、後白河院も仕方ないと思って、平家の首を大路に渡されました。見る人多く数えることもできないほどでした。平家の者たちが宮中に袖を並べた昔は、平家をおびえ恐れる者も多かったのでした。世間に首を晒される今となっては、憐れみ悲しまれるのは言うまでもありませんでした。中でも大覚寺に隠れ住む、小松三位中将維盛卿(平維盛)の若君、六代御前に仕える斎藤五、斎藤六は、あまりに心配になって、姿を変えて見にいくと、首は、皆知った者でしたが、三位中将殿(維盛)の首はありませんでした。けれどもあまりにも悲しくて、袖に包めないほど涙があふれ出て、他人の目も不安になったので、急いで大覚寺へ帰ってきました。維盛の北の方(妻)は、「どうでしたか維盛はいましたか」と聞きました、斎藤たちは、「首は、皆知った者でしたが、維盛の首は、ありませんでした。
(続く)