かくて、やうやう中納言重く悩み給へば、大将殿、愛ほしく思し嘆きて、修法など数多せさせ給へば、中納言「何かは。今は思ふことも侍らねば、命惜しくも侍らず。煩はしく何かは折りせさせ給ふ」と申し給ふ。弱る様日なり給へば、「なほ死ぬべきなめり。今しばし生きてあらばやと思ふは、我が年頃沈みて、昨日今日の若人どもに多く越えられて、なり劣りつるになむ、恥に思ひける。我が君のかばかり顧み給ふ御世に、命だにあらば、なりぬと思ひぬるに、また、かく死ぬれば、我が身の大納言になるまじき報いにてこそありけれど、これのみぞ、飽かず思ゆること。さては、老い果ての面立たしさは、おのれに勝る人、世にあらじ」とのたまふを、大将聞き給ひて、哀れに思ゆること限りなし。女君「やがて大納言をかな。一人なし奉りて、飽かむことなしと思はせ奉らむ」とのたまふを聞き給ひて、げに、させばや、と思せど、員より外の大納言になさむことは難し。人の、はた取るべきにあらず、我がを許さむの御心付きて、父大殿の御許に詣で給ひて、「かくなむ思ひ給へるを、幼き者ども多く侍れど、それが徳を見すべく、行く末あるべきことにもあらぬ代りには、このことをなむ、そ侍らむと思ひ侍る。御気色、よろしう定めさせ給へ」と申させ給ふ。「何かは。さ思はむを、早う然るべき様に奏を奉らせよ。大納言はなくても、悪しくもあらじ」と、我が心なる世なればと思してのたまへば、限りなく喜び給ひて、申し給ひて、奏し奉らせ給ひて、中納言、大納言になり給ふ宣旨下し給ひつ。これを聞きて、大納言、煩ふ心地に、泣く泣く喜び給ふ様、親にかく喜ばれ給ふに、功徳ならむと見ゆ。
やがて、中納言の病いは重くなり、左大将殿は、気の毒に思って悲しみ、修法([密教で行う加持祈祷の法])など多く行わせました、中納言は「どうしてそれほどにしてくれるのですか。今は思い残すことはなく、命など惜しくありません。面倒なことだろうにどうして祈祷などなさるのでしょうか」と申しました。中納言は日に日に弱って、「そろそろお迎えが来る頃だ。今しばらく生きていたいと思うのは、わしは年老いてから昇進もなく、昨日今日出仕したような若者に多く位階([位と職])を越えられて、下位に甘んじていることを、恥と思っていたのじゃ。我が君(左大将)が目をかけてくれたのじゃから、命さえ続けば、いつか大納言になれると思っておったんじゃ、じゃが、このまま死んで行くのも、大納言にはなれぬ我が身の罪の報いであろうが、こればかりを、ずっと思い続けておったんじゃ。もし大納言になれたなら、老いぼれた我が身にとってこの上なく名誉なこと、わしに勝る者など、世の中にはいないと思っておるのじゃ」と申すのを、左大将が聞いて、たいそう気の毒に思ったのでした。落窪の君が「いずれは大納言をと願っていたのですね。なんとか大納言にして差し上げて、長年の願いを叶えてあげたい」と言ったのを聞いて、左大将は、なんとかして、と思いましたが、決められた人数(大納言は十人。定員外として権大納言)以外に大納言になすことは難しいことでした。他人の、位を取り上げることもできず、左大将は自身に許された位を譲ろうと思って、父の大殿(左大臣)の許を訪ねて、「わたしの位を中納言殿に譲りたいと思っています、わたしには幼い子どもたちがたくさんいますが、子どもたちに徳([神仏などの加護])を授けたいと思うのです、子どもたちの行く末を最後まで見届けることはできないでしょう、ですから、中納言殿に大納言を位を譲ろうと思います。どうでしょうか、父の思うままにお決めください」と申しました。父(左大臣)は「何も問題ない。お前がそう思うのならば、一刻も早くそのことを帝に奏上しなさい。大納言の位を失ったくらいで、大したことはなかろう」と、左大臣の思うがままの世であればと思って申すと、左大将はとてもよろこんで、朝廷に『大納言の位を譲る由』を申して、帝に奏上し、帝は中納言を、大納言に就ける宣旨([天皇の命令])を下されました。これを聞いて、中納言は、病いに煩いながらも、泣いてよろこびました、落窪の君の父親にこれほどよろこばれて、左大将はきっと功徳([ご利益])になることだろうと思いました。
(続く)