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Santa Lab's Blog


「落窪物語」巻四(その26)

御子生み、御袴着給ふ事どもも、隙なくて書かず。初めの男君、十にて、いと大きにおはすれば、春宮の殿上せさせ給ふ。書を読み、聡く、労々らうらうじく、心がらもいと賢ければ、若うおはしける帝におはしませば、遊び難きに召し使ひ、をかしきものに思して、「我も内裏に、いかで参らむ」と申し給へば、大殿おとどうつくしがりて、「などか今まで言はざりつる」とて、にはかに殿上せさせ給へば、父大臣おとど「いと幼く侍るものを」と申し給へど、「何か。その太郎には勝りて賢くなむある。弟優おとまさりなり」とのたまへば、父大臣笑ひ給ひぬ。内裏に参りて奏し給ふ、「これなむ、翁の限りなく愛しと思え侍る。思し召して顧みせさせ給へ。兄の童に思し増せ。つかさを得さすとも、兄に勝らむ」と、「すべて、この子を太郎にはせさせ給へ」と常にのたまひて、御名も弟太郎となむ、付け給へりける。この御妹の女君は八つにて、いみじうをかしげになむ、おはしければ、今より二つなくかしづき給ふ。その御妹も六つ、男子四つにてなむ、おはしける。また、この頃、生み給ふべし。かかるままに、愚かならず思ひ聞こえ給へる、ことわりなり。




左大臣殿の北の方は子を生み、袴着([幼児が初めて袴をつける儀式。今の七五三])の事もありましたが、書く隙(間)がないので書きません。左大臣殿の最初の子である長男は、十歳になって、とても大きくなったので、春宮([皇太子])の殿上童([公卿の子で、元服以前に作法見習いのため殿上の間に昇ることを許されて出仕した少年])に就けました。本を読み、賢く、器用で、性格もよかったので、若くいらっしゃる天皇であれば、遊べない時には呼んで、心を和ませておりました、次男が「わたしも内裏に、参りたいのです」と申したので、左大臣殿の父である太政大臣は、かわいく思って、「どうして今まで言わなかったのじゃ」と言って、急ぎ殿上させようとしました、次男の父である左大臣は「まだ幼いものを」と申しましたが、太政大臣は「何も問題ない。次男は太郎([長男])に勝るほど賢いやつじゃ。弟優り([弟や妹の方が兄や姉よりも優れていること])よ」と言ったので、左大臣殿は笑いました。太政大臣は内裏に参って奏上しました、「この子は、わたしが限りなくかわいがっている者でございます。出仕をお考えなさってくださいませ。兄である殿上童よりも賢い子です。司([階])でも兄に勝ることでしょう」と奏して、「何事にも、この子を太郎([長男])と思ってくださいませ」といつも申して、名も弟太郎と、付けました。弟太郎の妹の女君は八つで、とてもかわいい、姫君であったので、今まで他にないほどに大切に育てました。その妹に六歳の姫君、四歳の男の子が、いました。また、近々、子が生まれることでしょう。そして、左大臣殿が北の方(落窪の君)を大切にしているのも、当然のことでした。


続く


by santalab | 2013-08-12 07:41 | 落窪物語

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