左の大臣より渡りし御達「今は帰りなむ」と申したれば、「京におはせむ限りは、仕うまつり果てよ。また、下らむと思はむ人は、参り見せよ」と言はせ給へれば、「これもいといと苦しきことはあるまじかめれど、しばしのほども見るに、我が君に似奉るべくあらざめり、始めより見奉り初めて下りなむは、いかがせむ、同じほどの殿にだに御心よからむ方にこそ仕うまつらめ、いはむや、さらにこよなや、万のこと、浄土の心地填する我が殿をうち捨てて罷らむこそ、物狂ほしけれ」と下仕ひまで思ひて、一人も、下らず。大人三十人、童四人、下仕ひ四人なむ、率て下る数に定めたりつる。
左大臣殿から来ていた御達([宮中・貴族の家に仕える上級の女房たち])たちが「もう帰ってもよろしいでしょうか」と申すと、左大臣殿は「帥([大宰府の長官]。四の君の夫)が京におられるうちは、仕えよ。また、四の君とともに大宰府に下ろうと思う者は、お供せよ」と伝えると、「四の君に仕えるのもたいそうつらいということはないでしょうが、しばらくの間見ておりますと、北の方とは少しも似ていないようです、皆四の君とともに下ると言うのならば、どうしたものか、同じほどの殿に仕えるのならば心やさしい方にお仕えしたいものです、言うまでもなく、左大臣殿の方が格段身分の高いお方です、すべてにおいて、浄土([極楽浄土])のように思える左大臣殿を棄てて大宰府に下ることは、正気の沙汰ではありません」と下仕え([院の御所や親王家・摂家などに仕えて雑用を務めた女])までもが思っていたので、一人も、下る者はいませんでした。しょうがないので左大臣殿は大人(女房)三十人、女童四人、下仕え四人を、帥とともに下るよう決めたのでした。
(続く)