舎人武里も、続いて海に入らんとしけるを、聖取り止め、泣く泣く教訓しけるは、「いかにうたてくも、君の御遺言をば、違へ参らせんとはするぞ。下郎こそなほもうたてけれ。今はいかにもして永らへて、御菩提を弔ひ参らせよ」と言ひければ、「遅れ奉たる悲しさに、後の御教養のことも思えず」とて、船底に倒れ伏し、喚き叫びし有様は、昔悉達太子の檀特山へ入らせ給ひし時、車匿舎人が、金泥駒を賜はつて、王宮に帰りし悲しびも、これには過ぎじとぞ見えし。浮きもや上がり給ふと、しばしは舟を押し回してみけれども、三人共に深く沈んで見え給はず。いつしか経読み念仏して、回向しけるこそあはれなれ。さるほどに夕陽西に傾いて、海上も暗くなりければ、名残りは尽きせず思へども、さてしもあるべきことならねば、むなしき舟を漕ぎ帰る。戸渡る舟の櫂の滴、聖が袖よりつたふ涙、湧きていづれも見えざりけり。聖は高野へ帰り上り、武里は泣く泣く屋島へ参りけり。
舎人武里も、続いて海に入ろうとしましたが、聖(滝口入道)が止めて、泣きながら言い聞かせるには、「どんなに悲しくとも、君(平維盛の遺言に、背くものではない。ばかなことはやめろ。今はいかにしても命永らえて、維盛殿の菩提([死後の冥福])を弔うことだ」と言いました、武里は、「死に遅れた悲しさで、今は後のことを考えることができません」と言って、船底に倒れ伏して、泣き叫ぶ有様は、昔悉達太子(釈迦の出家前の名)が檀特山(悉達太子が菩薩の修行をしたという山)に入った時、車匿舎人(釈迦が出家した時、その馬を引いたらしい。釈迦の没後、阿難について修行し、阿羅漢となったそうな)が、金泥駒(悉達太子が、出家するため王宮を去るときに乗った白い馬の名らしい)を与えられて、王宮に帰った時の悲しみも、これには及ばないように思えました。武里はもしや維盛殿が浮き上がりはしないかと、しばらく舟をめぐらせてまわりをさがしていましたが、三人共に深く沈んで見えませんでした。いつしか経を読み念仏を唱えて、回向([死者の成仏を願って仏事供養をすること])するのは悲しいことでした。しばらくすると夕陽は西に傾いて、海上も暗くなったので、名残りは尽きませんでしたが、仕方なく、維盛のいなくなった舟を漕いで帰りました。海峡を渡る舟の櫂からこぼれ落ちるしずく、聖の袖からつたってこぼれる涙が、次から次へと湧き出て誰も前が見えませんでした。聖(滝口入道)は高野山に帰り、武里は泣きながら屋島に戻っていきました。
(続く)