右衛門は宮の尚侍になりにけり。後々のことは、次々、出で来べし。
この少将の君たち、一具ひになむ、なり上がり給ひける。祖父大臣、失せ給ひにけれども、「我思はば、ななし落しそ」と、返す返すのたまひたまひける。左大将、右大将にてぞ、続きてなり上がり給ひける。母北の方、御幸ひ、言はずともげにと見えたり。
右衛門(三河守の妻)は中宮尚侍([内侍司の長官])となりました。後々の栄えが、あることでしょう。
太政大臣の子である少将たち(長男と次男)は、一緒に、昇進しました。少将たちの祖父であった大臣(故太政大臣)は、亡くなられていましたが、「わしを思うのなら、次男の昇進を遅らせるではない」と、何度も申しておりました。太政大臣は子どもたちを、長男を左大将、次男を右大将に、順に昇進させました。母である北の方(落窪の君)が、たいそうよろこんだことは、申すまでもありませんでした。
(続く)