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「平家物語」祗王(その13)

この後は召さずとも常にまゐりて、今様いまやうをも歌ひ、舞ひなどをも舞うて、仏慰めよ」とぞのたまひける。祗王ぎわうとかうの御返事ぺんじにも及ばず、涙を抑へて出でにけり。祗王、「参らじと思ひ定めし道なれども、母の命を背かじと、辛き道に赴いて、再び憂きはぢを見つることの口しさよ。かくてこの世にあるならば、またも憂き目に遭はんずらん。今はただ身を投げんと思ふなり」と言へば、妹の祗女ぎによこれを聞いて、「姉身を投げば、我もともに身を投げん」と言ふ。母刀自とぢこれを聞くに悲しくて、泣く泣くまた重ねて教訓けうくんしけるは、「さやうのことあるべしとも知らずして、教訓して参らせつることの恨めしさよ。まことに我御前わごぜの恨むるもことわりなり。ただし我御前が身を投げば、妹の祗女もともに身を投げんと言ふ。若き娘どもを先立てて、歳老いよはひ衰へたる母、命生きても何にかはせんなれば、我もともに身を投げんずるなり。いまだ死期も来たらぬ母に、身を投げさせんずることは、五逆罪にてやあらんずらん。この世は仮の宿りなれば、恥ぢても恥ぢても何ならず。ただ長き世の闇こそ心憂けれ。今生こんじやうで物を思はするだにあるに、後生ごしやうでさへ悪道あくだうへ赴かんずることの悲しさよ」と、さめざめとかきくどきければ、祗王涙をはらはらと流いて、「げにもさやうにさぶらはば、五逆罪疑ひなし。一旦憂きはぢを見つることの口惜しさにこそ、身を投げんとはまうしたれ。さ候はば自害をば思ひ留まり候ひぬ。かくて都にあるならば、またも憂き目を見んずらん。今はただ都のほかへ出でん」とて、祗王二じふ一にて尼になり、嵯峨の奥なる山里に、柴のいほりを引き結び、念仏してぞたりける。




今後は呼ばずともいつもここに来て、今様([新様式の歌謡])も歌い、舞いも舞って、仏御前を慰めてくれ」と言いました。祗王は返事することもなく、涙を抑えて出て行きました。祗王は、「もう二度とここへは参らないと決めていましたが、母の命に背いてはならないと、辛い思いをしてやって来ましたが、再び悲しい目に遭うことになるとは残念なことです。このままこの世にいれば、また辛い目に遭うことでしょう。今はただ身を投げようと思います」と言いました、妹の祗女はこれを聞いて、「姉が身を投げるというのなら、わたしもいっしょに身を投げましょう」と言いました。母の刀自はこの言葉を聞くと悲しくて、泣く泣く何度も諭すには、「そのような目に遭うことを知らないで、清盛殿のもとに行かせたことを情けなく思います。お前(祗王)が恨むのももっともです。ただお前が身を投げれば、妹の祗女もいっしょに身を投げると言っています。若い娘たちに先立たれて、歳老い衰えた母は、命生きても仕方ありません、わたしもいっしょに身を投げましょう。けれどもまだ死ぬる時ではない母に、身を投げさせるのは、五逆罪([最も重い罪。父を殺すこと、母を殺すこと、阿羅漢を殺すこと、僧の和合を破ること、仏身を傷つけること])になるのではありませんか。この世は仮の住みかですから、何度恥じようがたいしたことではありません。ただ長い間闇([地獄。五逆罪を犯した者は、阿鼻地獄、つまり、地獄の底に落とされるらしい])で生きるのは苦しいことです。今生([この世])でさえ悩むことが多いのに、後生([後の世])で悪道([死後に赴く苦悩の世界。地獄・餓鬼・畜生])へ行くのはあまりにも悲しいことですよ」と、さめざめと泣きながら話すと、祗王もとめどなく涙を流して、「母をそのような目に遭わせれば、五逆罪になるのは間違いありません。一時辛い目に遭った悲しさから、身を投げると言ったのです。母がそうおっしゃるのならば自害は思い留めましょう。こうして都にいれば、また悲しい目を見ることでしょう。今はただ都の外に出ることにします」と言って、嵯峨(今の京都市右京区、嵐山あたり)の奥の山里に、柴の庵を結んで、念仏して暮らしました。


続く


by santalab | 2013-10-13 09:01 | 平家物語

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