馬の足立ち、鞍爪浸るほどにもなりしかば、ひたひたとうち乗つて、判官五十余騎、喚いて先を駆け給へば、渚に控へたりける百騎ばかりの兵ども、しばしも堪らず、二町ばかりざつと引いて控へたり。判官渚に上がり、人馬の息休めておはしけるが、伊勢三郎義盛を召して、「あの勢の中に、さりぬべき者あらば、一人具して参れ。尋ぬべきことあり」とのたまへば、義盛畏まり承つて、百騎ばかりの勢の中へ、ただ一騎駆け入つて、何とか言ひたりけん、歳の齢四十ばかんなる男の、黒革威の鎧着たるを、兜を脱がせ、弓の弦外させ、降人に具して参りたり。判官、「あれは何者ぞ」とのたまへば、「当国の住人坂西の近藤六親家」と名乗り申す。判官、「たとひ何家にてもあらばあれ、しやつに目離すな。物の具な脱がせそ。やがて屋島への案内者に具せんずるぞ。逃げて行かば射殺せ、者ども」とぞ下知し給ひける。
馬の脚がつき、鞍爪([鞍橋の前後の高くなった部分])が浸るほどになると、馬に乗り、判官(源義経)が五騎余りで、大声上げて前を駆けると、渚で待ち受けていた百騎ばかりの平家の兵たちは、しばらくも防ぐことができずに、二町(約200m)ほど兵を引きました。判官(義経)は渚に上がり、人馬を休ませていましたが、伊勢三郎義盛を呼んで、「あの勢の中に、適当な者がいれば、一人連れて参れ。聞きたいことがある」と申すと、義盛は畏まり承って、百騎ほおの勢の中へ、ただ一騎駆け入り、何と言って連れてきたのか、年は四十ばかりの男で、黒革威([藍で濃く染めた黒革で威したもの])の鎧を着た者の、兜を脱がせ、弓の弦を外させ、降人にして連れて来ました。判官が、「何者か」と訊ねると、降人は当国の住人で坂西の近藤六親家(近藤親家。藤原師光=西光の六男)だ」と名乗りました。判官は、「たとえどこの家の者だろうが、やつから目を離すな。物の具([太刀])を外させよ。すぐに屋島の案内者として連れて行く。逃げるようなら射殺せ、者どもよ」と下知([命令])しました。
(続く)