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「平家物語」小教訓(その3)

小松の大臣おとどは、例の善悪に騒ぎ給はぬ人にておはしければ、はるかに日長けて後、嫡子ごんすけ少将ぜうしやう維盛これもりを、車のしりに乗せつつ、衛府ゑふ四五人、随身ずゐじん二三人召し具して、軍兵ぐんびやうどもをば一人いちにんも具せられず、まことに大様おほやうげにておはしたれば、入道にふだうを始め奉て、一門の人々、皆思はず気にぞ見給ひける。大臣中門ちうもんの口にて、御車より下り給ふところへ、貞能さだよしつとまゐつて、「などこれほどの御大事に、軍兵をば一人も召し具せられさふらはぬやらん」とまうしければ、大臣、「大事とは天下てんがのことをこそ言へ。かやうのわたくし事を、大事と言ふやうやある」とのたまへば、兵仗ひやうぢやうを帯したりけるつはものども、皆そぞろいてぞ見えたりける。その後大臣、大納言をばいづくに置き奉たるやらんと、ここかしこを引き開け引き開け見ふに、ある障子しやうじうへに、蜘手くもで結うたるところあり。ここやらんとて開けられたれば、大納言おはしけり。涙にむせびうつ伏して、目も見上げ給はず。「いかにや」とのたまへば、その時見つけ奉て、うれしげに思はれたる気色、地獄ぢごくにて罪人どもが、地蔵ぢざう菩薩を見奉るらんも、かくやと思えてあはれなり。「何事にて候ふやらん。今朝よりかかる憂き目に遭ひ候ふ。さて渡らせ給へば、さりともとこそ深う頼み奉て候へ。へいにもすでにちうせらるべかりしを、御恩をもつて首を継がれ参らせ、あまつさへ正二位じやうにゐの大納言までへ上がつて、歳すでに四じふに余り候ふ御恩こそ、生々しやうじやう世々せせにもはうじ尽くし難う候へども、今度もまた甲斐かひなき命を助けさせおはしませ。さだにも候はば、出家入道にふだう仕り、いかならん片山里にも籠りて、一筋ひとすぢ後世ごせ菩提の勤めを営み候はん」とぞ申されける。大臣、「さ候へばとて、御命失ひ奉るまでのことはよも候はじ。たとひさ候ふとも、重盛しげもりかうて候へば、御命には代はり参らせ候ふべし。御心安う思し召され候へ」とて、父の禅門の御まへにおはして、「あの大納言失はれんことは、よくよく御趣意しゆゐ候ふべし。そのゆゑは先祖修理しゆり大夫だいぶ顕季あきすゑ白河しらかはゐんに召し使はれ参らせしよりこの方、いへにその例なき正二位の大納言にへ上がつて、あまつさへ当時たうじ、君無双ぶさうの御いとほしみ、かうべを刎ねられんことしかるべうも候はず。ただ都のほかへ出だされたらんに、事足り候ひなんず。




小松大臣(平清盛の嫡男、重盛しげもり)は、善き悪しきに動じない者でしたので、日がすっかり暮れてから、嫡子である権佐少将維盛を、車のろに乗せて、衛府([衛門府の官人])四五人、随身([近衛府の官人])二三人を連れて、軍兵たちは一人も引き連れることなく、まことに大様([落ち着きがあって、小さなことにこせこせしない様])でしたので、入道(平清盛)をはじめ、平家一門の者たちは、皆驚いた様子でした。大臣(重盛)が中門の入口で、車から下りると、貞能(平貞能)が急ぎ参って、「どうしてこの一大事に、軍兵を一人も連れて来られなかったのですか」と申すと、重盛は、「大事とは天下のことを言うものだ。このような私事を、大事と言ってどうする」とどなったので、兵仗([武器])を身に付けた兵たちは、皆落ち着きを失いました。その後重盛は、大納言(藤原なりちか)はどこにいるのかと、あちらこちらを引き開けて見ると、ある障子の上に、蜘手([材木などを四方八方に打ち違えて組んだもの])で閉じたところがありました。ここに違いないと障子を開けると、大納言がいました。涙にむせびうつ伏して、顔も上げることができない様子でした。「どうなされました」と重盛が言うと、大納言は重盛だと気付いて、うれしそうでした、地獄の罪人たちが、地蔵菩薩を見たときも、このようであろうと思えば哀れでした。大納言は「どういう訳かは知らぬ。今朝よりこのような憂き目に遭っておるのだ。こうして重盛殿が訪ねて来たのだから、ことさら頼りにしたいと思う。平治の時(平治の乱)の時にすでに誅たれるはずであったのを、重盛殿の恩をもって首を継ぐことができ、おまけに正二位の大納言まで上がって、歳はすでに四十歳を越えることができたことは、生々世々([未来永劫])報いることはできないと思うが、今度もまた甲斐のない命を助けてもらえまいか。もし命を助けてもらえたならば、出家し入道([仏道に入り修行すること])し、どのような片山里にでも籠って、ひたすら後世菩提([死後、極楽に往生して悟りを得ること])の勤めを果たそう」と申しました。重盛は、「そうはおっしゃいますが、命まで取られることはよもやないでしょう。たとえそうであったとしても、わたしがこうしてやって参ったからには、命に代えて助けましょうぞ。心配なさらぬように」と言って、父である禅門(清盛)の御前に参って、「大納言を誅つことは、よくよく考えてください。その訳は大納言の先祖修理大夫顕季(藤原顕季)が、白河院に召し使われてからというもの、家(善勝寺流)に前例なき正二位の大納言まで上がって、その上当時、君(後白河院)は他の誰よりも大納言を大切にされました、首を刎ねられる理由がありません。ただ都の外に出せば、事は足りるのではありませんか。


続く


by santalab | 2013-10-25 23:14 | 平家物語

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