山門の大衆憤り申しけるは、「昔より御灌頂御受戒、皆当山にして遂げさせ給ふこと先規なり。 なかんづく山王の化導は、受戒灌頂のためなり。しかるをいま三井寺にて遂げさせおはしまさば、寺を一向焼き払ふべし」とぞ申しける。法皇、「これ無益なり」とて、御加行ばかり御結願あつて、御灌頂をば思し召し止まらせ給ひけり。されども御本意なればとて、公顕僧正を召し具しつつ、天王寺へ御幸なつて、五智光院を建て、亀井の水を五瓶の智水と定め、仏法最初の霊地にてぞ、伝法灌頂をば遂げさせおはします。山門の騒動を静められんがために、三井寺にて御灌頂はなかりしかども、山門には堂衆学生、不快のこと出で来て、合戦度々に及ぶ。毎度に学侶討ち落とさる。山門の滅亡、朝家の御大事とぞ見えし。
山門(延暦寺)の大衆([僧])が怒って言うには、「昔より灌頂受戒([出家または在家の信者が、仏の定めたそれぞれの戒律を受けること])は、皆当山(延暦寺)で遂げるという先規([しきたり])があるぞ。その上山王([今の滋賀県大津市にある日吉大社の祭神])の化導([衆生を教化=人を教え導いて善に導くこと])は、受戒([仏教の戒律を受持すること])灌頂([密教で、香水を頭に注ぐ儀式])のためである。にもかかわらず今後白河院が三井寺([今の滋賀県大津市にある園城寺])で灌頂を遂げたならば、寺(延暦寺)をすべて焼き払ってしまうぞ」と言いました。法皇(後白河院)は、「延暦寺がなくなっては元も子もないことだ」と言って、加行([受戒・灌頂・伝授などを受ける前に行う修行])だけを三井寺で結願して、灌頂は中止しました。けれども灌頂を受けることが望みだったので、公顕僧正を供に付けて、天王寺([四天王寺]=[今の大阪市天王寺区にある寺院])に出かけて、五智光院([大日如来を本尊とする五智如来を安置する所]。今四天王寺にある五智光院は、江戸時代に建てられたものらしい)を建て、亀井の水(四天王寺の境内にあるらしい)を五瓶の智水([灌頂の際、阿闍梨が仏の智慧を与える意味で行者の頭へ注ぐ水])と決めて、後白河院は仏法最初の霊地で、伝法灌頂([密教を修行した優れた行者に、阿闍梨の位を許すための灌頂])を遂げました(四天王寺は聖徳太子が建てたそうです)。山門(延暦寺)の騒動を静めるために、三井寺で灌頂はありませんでしたが、山門では堂衆([学僧に仕えていた童子で、出家得度した者])と学生([学僧]=[比叡山・高野山などの諸大寺で、学問修行を専門とする僧])たちの、仲が悪くなって、度々合戦を起こしました。いつも学侶([比叡山の学生])が討たれました。山門が滅亡することは、朝家にとって大事件と思われました。
(続く)