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「平家物語」山門滅亡(その2)

遠天竺とほてんぢく仏跡ぶつせきとぶらふに、昔仏ののりを説き給ひし竹林精舎しやうじや給孤独園ぎつこどくをんも、この頃は狐狼こらう野干やかんの棲みかとなつて、いしずゑのみや残るらん。白鷺はくろにはみづ絶えて、草のみ深く茂れり。退凡下乗たいぼんげじようの卒塔婆も苔のみしてかたぶきぬ。震旦しんだんにも天台山、五台山、白馬寺、玉泉ぎよくせん寺も、今は住侶ぢうりよなき様に荒れ果てて、大せう乗の法文ほふもんも、箱の底にや朽ちぬらん。我がてうにも南都の七大寺荒れ果てて、八宗はつしう九宗くしうも跡絶え、愛宕あたご高雄たかをも、昔は堂塔だうたふ軒を並べたりしかども、一夜の内に荒れ果てて、天狗の住みかと成り果てぬ。さればにや、さしもやんごとなかりつる天台の仏法ぶつぽふも、治承ぢしようの今に及んで、滅び果てぬるにや。心ある人の嘆き悲しまぬはなかりけり。何者の仕業にてやありけん、離散しける僧のばうの柱に、一首の歌をぞ書き付けたる。

祈りこし 我がたつ杣の ひきかへて 人なき峰と 荒れや果てなむ

これは昔伝教でんげう大師、当山たうざん草創さうさうの始め、阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみやくさんぼだいの仏たちに祈りまうさせ給ひしことを、今思ひ出でて詠みたりけるにや。いと優しうぞ聞こえし。やう日は薬師の日なれども、南無と唱ふるこゑもせず、卯月うづき垂迹すゐじやくの月なれども、幣帛へいはくを捧ぐる人もなく、あけの玉垣神さびて、注連縄しめなはのみや残るらん。




遠く天竺([インド])に仏跡([釈迦の遺跡])を訪ねると、昔釈迦が仏法を説いた竹林精舎([摩訶陀まがだ王国の王舎城北門付近にあった寺院])、給孤独園([祇園精舎])も、この頃では狐狼([狐と狼])野干([キツネ])の棲みかとなって、礎が残るのみでした。白鷺池([摩訶陀王国の王舎城の竹林園にあった池])の水も絶えて、草だけが深く茂るだけでした。退凡下乗([摩訶陀国王の頻婆娑羅びんばしやらによって釈迦説法の地、霊鷲山りやうじゆせんに建てられた二本の卒塔婆に示された語])が書かれた卒塔婆も苔生して傾いていました。震旦([中国])にも天台山([中国仏教の三大霊場の一。天台宗発祥の山])、五台山([中国仏教の三大霊場の一。文殊菩薩が住む清涼山とされている]らしい)、白馬寺([中国最初の仏寺]らしい)、玉泉寺も、今は住侶がいないと思えるほど荒れ果てて、大小乗の法文([経・論・釈など仏法を説き明かした文章])も、箱の底で朽ちていました。我が国でも南都([奈良])の七大寺([南都七大寺]=[東大寺・興福寺・元興ぐわごう寺・大安寺・薬師寺・西大寺・法隆寺])が荒れ果てて、八宗九宗([八宗]=[南都六宗の倶舎くしや成実じやうじつ・律・法相ほつさう・三論・華厳および平安二宗の天台・真言]、[九宗]=[八宗に禅宗あるいは浄土宗を加えたもの])も絶えて、昔は堂塔が軒を並べていましたが、一夜の内に荒れ果てて、天狗の住みかと成り果てました。ならば、あれほど貴い天台の仏法も、治承の今に及んで、滅び果てるのでしょうか。心ある人は皆嘆き悲しみました。何者の仕業でしょうか、離散した僧房の柱に、一首の歌が書き付けてありました。

長年わたしが祈りを捧げてきた我が山も、いつかは人の住まない峰となって、荒れ果ててしまうのだろうか。

これは昔伝教大師(最澄。延暦寺の開祖)が、当山を草創([神社・寺院などを初めて建てること])した時に、阿耨多羅三藐三菩提([一切の真理をあまねく知った最上の智慧])の仏たちに祈った気持ちを、思い起こして詠んだ歌でした。素直な気持ちを詠んだ歌でした。八日は薬師の日(薬師如来の縁日)でしたが、南無と唱える声も聞こえず、卯月([陰暦四月])は垂迹の月([山王権現が日本にあとを垂れたとする月])でしたが、幣帛を奉納する人もなく、あけの玉垣([神域の内外を区切る斎垣を赤く塗ったもの])は古びて、注連縄([神を祭る神聖な場所を他の場所と区別するために張る縄])だけが残るのみでした。


続く


by santalab | 2013-10-27 22:24 | 平家物語

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