怨霊は、昔もかく恐ろしかりしことどもなり。冷泉院の御物苦はしうましまし、花山の法皇の、十善の帝位をすべらせ給ひしは、元方の民部卿が霊なり。また三条の院の御目も御覧ぜられざりしは、桓算供奉が霊とかや。門脇の宰相、かやうのことどもを伝へ聞き給ひて、小松殿に申されけるは、「今度中宮御産の御祈り、様々に候ふなり。何と申すとも、非常の赦に過ぎたるほどのことあるべしとも思え候はず。中にも鬼界が島の流人どもを、召し帰されたらんほどの功徳善根、何事か候ふべき」と申されたりければ、父の禅門の御前におはして、「あの丹波の少将がことを、門脇の宰相あまりに嘆き申すが不憫に候ふ。ことさら中宮御悩の御事、承り及ぶごとくんば、成親の卿が死霊など聞こえて候ふ。大納言が死霊をなだめんと思し召さんにつけては、生きて候ふ少将を、召しこそ帰され候はめ。人の思ひをやめさせ給はば、思し召すことも叶ひ、人の願ひを叶へさせましまさば、御願もすなはち成就して、御産平安皇子御誕生あつて、家門の栄華いよいよ盛んに候ふべし」など申されければ、入道相国、日頃よりことのほかに和らいで、「さて俊寛や康頼法師がことはいかに」とのたまへば、「それも同じうは召しこそ帰され候はめ。
怨霊は、昔より恐ろしいものでした。冷泉院が苦しまれて、花山法皇に、十善([十善万乗]=[天子の位])の帝位を譲ったのは、元方の民部卿(藤原元方)の悪霊の仕業でした。また三条院の目が見えなくなったのは、桓算供奉(藤原元方とともに藤原師輔に恨みを抱いて怨霊となったそうな。[供奉]=[内供奉=[宮中の内道場に奉仕し、御斎会の読師や天皇の加持、祈祷などを勤めた僧職])の霊だといわれました。門脇宰相(平教盛。清盛の弟)は、これを伝え聞いて、小松殿(平重盛。清盛の嫡男)に申すには、「今度中宮(高倉天皇中宮、平徳子。後の建礼門院。清盛の娘)御産の祈りを、様々に行うべきです。ですが何と言っても、特別な恩赦に優るものがあるとは思えません。中でも鬼界が島の流人たちを、都に帰されるほどの功徳([現世、来世に幸福をもたらすもとになる善行])善根([よい報いを招くもとになる行為])を、なされてはどうでしょうか」と申したので、重盛は父である禅門(清盛)の御前に参って、「あの丹波少将(藤原成経のことを、門脇宰相(教盛)があまりに嘆き悲しんでいるのが不憫に思えるのです(成経は教盛の娘婿でした)。さらに中宮(徳子)が苦しんでいるとのことを、聞き及んでおりますが、成親卿(藤原成親)の死霊のせいではないかと噂されています。大納言(重盛)が死霊を鎮めようとするならば、生きている少将(成経)を京に帰しなさい。人の悲しみをなくせば、思うことも叶い、人の願いを叶えてあげれば、願いもすぐに成し遂げられ、中宮の御産も心配なく皇子が誕生して、平家の栄華はますます繁栄するに違いありません」などと申せば、入道相国(清盛)は、いつもになくおだやかな表情をして、「ならば俊寛や康頼(平康頼)はどうすればよいのじゃ」と言うと、重盛は、「彼らも同じように帰されるのがよろしいでしょう。
(続く)