なほ伊勢より始め奉て、安芸の厳島にいたるまで、七十余箇所へ神馬を立てらる。内裏にも寮の御馬に四手付けて、数十匹引つ立てたり。仁和寺の御室守覚法親王は孔雀経の法、天台座主覚快法親王は七仏薬師の法、寺の長吏円恵法親王は金剛童子の法、そのほか五大虚空蔵、六観音、一字金輪、五壇の法、六字河臨、八字文殊、普賢延命にいたるまで、残るところなう修せられけり。護摩の煙御所中に満ちて、鈴の声雲を響かし、修法の声身の毛よだつて、いかなる御物の怪なりとも、何面を向かふべしとも見えざりけり。なほ仏所の法印に仰せて、御身等身の薬師並びに五大尊の像を造り始めらる。かかりしかども、中宮は隙なくしきらせ給ふばかりにて、御産も頓になりやらず。入道相国、二位殿、胸に手を置いて、「こはいかがせん、いかにせん」とぞあきれ給ふ。人の物申しけれども、「ただともかうも、よきやうによきやうに」とのたまひける。
その上伊勢神宮を始め、安芸の厳島神社にいたるまで、七十余箇所へ神馬([神の乗用として神社に奉納する馬])を奉納しました。内裏にも寮の馬([馬寮の馬])に四手([玉串や注連縄などにつけて垂らす紙])を付けて、数十匹連れて寄こしました。守覚法親王([仁和寺の御室の僧。後白河天皇の第二皇子。仁和寺第六世])は孔雀法([大乗密教経典。孔雀明王=毒蛇を食う孔雀を神格化した明王の修法、功徳などを説いたもの])、天台座主覚快法親王は七仏薬師の法([密教の修法の一つ。七仏薬師を本尊として修する、息災または増益のための修法])、寺(今の滋賀県大津市にある園城寺=三井寺)の長吏([長官])円恵法親王([後白河天皇の子])は金剛童子の法([金剛童子を本尊として行う除災、延命の修法])、そのほか五大虚空蔵([五大虚空菩薩=中央に法界、東方に金剛、南方に宝光、西方に蓮華、北方に業用の各虚空蔵を配して行う修法])、六観音([地獄道=聖観音、餓鬼道=千手観音、畜生道=馬頭観音、修羅道=十一面観音、人間道=准提観音、天道=如意輪観音を配して行う修法])、一字金輪([大日如来が最高の境地に入って説いた真言=仏頂尊を本尊として行う修法])、五壇の法([息災、増益、調伏のために五大明王=不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉を東・南・西・北・中央の五壇に祭って行う密教の修法])、六字河臨([六字河臨法]=[聖観音などを本尊として、六字の真言を唱えて調伏と息災を修する修法])、八字文殊([八字を真言とする文殊菩薩を本尊とする修法])、普賢延命([普賢延命法]=[普賢延命菩薩を本尊として、災いを除き寿命を長くするために行う修め法])にいたるまで、残る所なく修めさせました。護摩([煩悩を焼却し、併せて息災・降伏などを祈願する修法])の煙は御所中に充満して、振鈴([金剛鈴])の音は雲まで響き、修法の声は身の毛もよだつほどで、どんな物の怪といえども、面と向かうとも思えませんでした。その上仏所([仏像やその付属物を製作する工房])の法印([僧位の最上位])に命じて、御身等身の薬師([供養する施主と同じ大きさの薬師仏の像])ならびに五大尊([五大明王])の像を造らせました。それにもかかわらず、中宮(平清盛の娘で高倉天皇中宮、徳子)は絶え間なく産気付くばかりで、お産も無事すみませんでした。入道相国(平清盛)、二位殿(清盛の継室、時子)は、胸に手を当てて、「どうすればよいものか」とうろたえるばかりでした。人が申すには、「とにもかくにも、無事にお産がすみますように」と言うほかありませんでした。
(続く)