時政は建保三年に隠れにしかば、義時は跡を継ぎけり。故左衛門の督の子にて公暁と言ふ大徳あり。親の討たれにし事を、いかでか安き心あらん。いかならむ時にかとのみ思ひ渡るに、この内大臣、また右大臣に上がりて、大饗など、珍しく東にて行なふ。京より尊者をはじめ上達部・殿上人多く訪ひいましけり。
一方時政(北条時政)が建保三年(1215)に亡くなると、義時(北条義時。時政の次男)が跡を継ぎました(鎌倉幕府第二代執権)。故左衛門督(源頼家。鎌倉幕府第二代将軍)の子に公暁と申す大徳がおりました。親が討たれて、どうして心穏やかなことがありましょう。いつか敵討ちをと思っておりましたが、この内大臣(源実朝。頼家の弟)が、また右大臣に上がって、大饗を、珍しいことでございましたが東国で行うことになりました。京より尊者をはじめ上達部・殿上人が多くやって参りました。
(続く)