その頃宋朝より優れたる名医渡つて、本朝に休らふことありけり。折節入道相国は、福原の別業におはしけるが、越中の前中盛俊を使者にて、小松殿へのたまひ遣はされけるは、「所労いよいよ大事なる由、その聞こえあり。かねてはまた宋朝より優れたる名医渡れり。折節これを喜びとす。よつてかれを召し請じて、医療をくはへしめ給へ」とのたまひ遣はされたりければ、大臣助け起こされ、盛俊を御前へ召して対面あり。「先づ医療のこと、畏まつて承り候ひぬと申すべし。
その頃宋朝(南宋)より優れた名医が渡来して、本朝([日本])に留まっていました。その当時入道相国(平清盛)は、福原の別業([別荘])にいましたが、越中前司盛俊(平盛俊)を使者に立てて、小松殿(平重盛。清盛の嫡男)に伝言を遣わしました、「病気がますます重くなったと、聞いておる。ちょうど宋朝より優れた名医が来ているそうだ。これはありがたいことだ。この名医を呼んで、医療に専念せよ」と言伝てすれば、小松大臣(重盛)は助け起こされて、盛俊を御前に呼んで対面しました。重盛は、「まず医療のこと、畏まり承ったと伝えてくれ。
(続く)