さても院の思し構ふる事、忍ぶとすれど、やうやう漏れ聞こえて、東ざまにも、その心使ひすべかんめり。東の代官にて伊賀の判官光季と言ふ者あり。かつがつかれを御勘事の由仰せらるれば、御方に参る兵ども押し寄せたるに、逃がるべきやうなくて、腹切りてけり。先づいとめでたしとぞ、院は思し召しける。
さて後鳥羽院(第八十二代天皇)がお考えになられていた事でございますが、隠されようとなさいましたが、徐々に漏れ聞こえて、東国(鎌倉幕府)にも、用心しなければなりませんでした。鎌倉の代官で伊賀判官光季(伊賀光季)と言う者がおりました。急ぎ光季を都から排除するよう命じられますれば、光季の宿所に兵たちが押し寄せましたので、光季は逃げることもできずに、切腹いたしました。先ずは上々と、後鳥羽院は思われたのでございます。
(続く)