承久元年六月二十五日に京を立たせ給ひて、同じき七月十九日関東に下着。たちまちに槐門太閤の窓を出でて、軍監亜相の枢に留まり給ふ。そもそも右京の大夫兼陸奥の守平の義時は、上野の守直方が五代の末葉北条の遠江の守時政が嫡子、二位殿の御弟、実朝の御叔父なり。権威重くして国郡に仰がれ、心正しくして王位を軽くせず。
承久元年(1219)六月二十五日に九条頼経は京を立って、同じ七月十九日に関東(鎌倉)に着きました。にわかに槐門([大臣の家柄])太閤([摂政・太政大臣])の家を出て、軍監([軍事の監督をする役職])亜相([大納言])の枢([戸])に住むことになりました。そもそも右京大夫兼陸陸奥守平義時(平義時=北条義時)は、上野守直方(平直方)の五代孫である北条遠江守時政(北条時政)の嫡子で、二位殿(北条政子)の弟、実朝(源実朝)の叔父でした。とても権威があり国郡には尊敬され、心は正しく王位(朝廷)を軽んじませんでした。
(続く)