心憎うも候はず、罷り向かつて選り討ちなども仕るべき。さる馬を持つて候ひしを、このほど親しい奴めに盗まれて候ふ。御馬一匹下し与かり候はばや」と申しければ、大将、「もつともさるべし」とて、白葦毛なる馬の、煖廷とて秘蔵せられたりけるに、よい鞍置いて競に賜ぶ。賜はつて宿所に帰り、「はや日の暮れよかし。三井寺へ馳せ参り、入道殿の真つ先駆けて討ち死にせん」とぞ申しける。日もやうやう暮れければ、妻子どもをば、かしこここにたち忍ばせて、三井寺へと出で立ちける、心の内こそ無残なれ。平文の狩衣の菊綴ぢ大きらかにしたるに、重代の着背長、緋威の鎧着て、星白兜の緒を締め、厳物作りの太刀を履き、二十四差いたる大中黒の矢負ひ、滝口の骨法忘れじとや、鷹の羽で延いだりける的矢一手ぞ差し添へたる。重籐の弓持つて、煖廷にうち乗り、乗り換へ一騎うち具し、舎人男に持楯脇挟ませ、館に火かけ焼き上げて、三井寺へこそ馳せたりけれ。
別に憎いとも思いませんが、出て行って選り討ち([強い敵を選んで討ち取ること])仕りたいと思います。わたしは馬を持っていましたが、親しくしていた者に盗まれてしまいました。馬を一匹与えてくれませんか」と申すと、大将(平宗盛。清盛の三男)は、「わかった」と言って、白葦毛([白毛の多くまじった葦毛])の馬で、煖廷という宗盛が大切にしていた馬に、りっぱな鞍を置いて競(渡辺競)に与えました。競は馬を頂戴して宿所に帰り、「はやく日が暮れてくれ。三井寺(今の滋賀県大津市にある寺院)に急ぎ参り、入道殿(源頼政)の先陣を駆けて討ち死にするぞ」と言いました。日もようやく暮れると、競は妻子たちを、あちらこちらに隠して、三井寺に出発しましたが、少しも恥じていませんでした。平文([彩色や刺繍の文様])の付いた狩衣の菊綴ぢ([縫い目にとじつけたひも])を大きくひらめかせ、重代([先祖伝来の宝物])の着背長([鎧])、緋威([緋色に染めた革や組紐などで威した鎧])の鎧を着て、星白兜([鉢の星の表面を銀で包んだ兜])の緒を締め、厳物作りの太刀を差して、二十四本差した大中黒([鷲の矢羽で、中央部の黒い斑が大きいもの])の矢を背負い、滝口([滝口武士])の骨法([礼儀作法])を忘れまいと、鷹の羽で作った的矢([的を射るのに用いる矢])を一手([一組])差していました。重籐([弓の束を黒漆塗りにし、その上を籐で強く巻いたもの])の弓を以って、煖廷に乗って、乗り換えを一騎連れて、舎人男([下級官人])に持楯を脇に持たせて、宿所に火をかけ焼いてから、三井寺に急ぎました。
(続く)