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「平家物語」宮御最後(その1)

足利がその日の装束しやうぞくには、朽葉くちばの綾の直垂ひたたれに、赤革あかがはをどしよろひ着て、高角たかづのう打つたる兜のを締め、黄金こがね作りの太刀を履き、二じふ四差いたる切斑きりふの矢負ひ、重籐しげどうの弓持ちて、連銭れんぜん葦毛あしげなるむまに、柏木かしはぎ耳蝉みみづく打つたる金覆輪きんぷくりんの鞍置いてぞ乗つたりける。あぶみ踏ん張り立ち上がり、大音声おんじやうを上げて、「昔朝敵てうてき将門まさかどを亡ぼして、勧賞けんじやうかうぶつて、名を後代こうだいに上げたりしたはら藤太とうだ秀郷ひでさとじふ代の後胤こういん下野しもづけの国の住人、足利の太郎たらう俊綱としつなが子、又太郎忠綱ただつな生年しやうねんじふ七歳に罷りなる。かやうに無官むくわん無位むゐなるものの、宮に向かひまゐらせて弓を引き矢を放つことは天の恐れ少なからずさふらへども、ただし弓も矢も、冥加みやうがのほども平家の御うへにこそ留まり候はめ。三入道にふだう殿の御方に、我と思はん人々は、寄り合へや見参げんざんせん」とて、平等院びやうどうゐんの門の内へ、攻め入り攻め入り戦ひけり。




足利(忠綱ただつな)のその日の装束は、朽葉色([赤みを帯びた黄色])の直垂に、赤革威の鎧を着て、高角([角の先端を開かずに高くとがらせた鎧])を付けた兜の緒を締め、黄金作り([金めっきや金銅などで装飾したもの])の太刀を身に付け、二十四本差した切斑([鷲の尾羽で、白と黒のまだらがあるもの])の矢を負い、重籐([弓のつかを黒漆塗りにし、その上を籐で強く巻いたもの])の弓を持って、連銭葦毛([葦毛に灰色の丸い斑点のまじっているもの])の馬に、柏の木に耳蝉([昆虫の一。カメムシの一種])の飾りを付けた金覆輪([金または金色の金属を用いて飾ったもの])の鞍を置いて乗っていました。鐙を踏ん張って立ち上がって、大声を張り上げて、「昔朝敵将門(平将門)を亡ぼして、勧賞([褒美])を与えられ、名を後世に残した俵藤太秀郷(藤原秀郷)の十代孫、下野国の住人、足利太郎俊綱(足利俊綱)の子、又太郎忠綱、生年十七歳だ。無官無位であり、宮(高倉宮。後白河院の第三皇子以仁王もちひとわう)に弓を引き矢を放つことは恐れ多いことではあるが、弓も矢も、冥加([神仏の加護・恩恵])も平家の身の上を思ってのことだ。三位入道殿(藤原頼政よりまさ)の味方で、我と思う者は、近く寄ってわたしを見てみよ」と言って、平等院の門の中へ、攻め入って戦いました。


続く


by santalab | 2013-11-06 07:20 | 平家物語

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