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「平家物語」宮御最後(その4)

げん大夫だいふ判官はうぐわんは、大力だいぢからにておはしければ、次郎丸じらうまるを捕つて抑へて首を掻き、立ち上がらんとするところに平家のつはものども、じふ四五騎落ち重なつて、つひ兼綱かねつなを討ちてげり。伊豆いづかみ仲綱なかつなも散々に戦ひ、痛手あまた負うて、平等院びやうどうゐん釣殿つりどのにて自害してげり。その首をば下河辺しもかうべ藤三郎とうざぶらう清親きよちか捕つて、大床おほゆかの下へぞ投げ入れたる。六でう蔵人くらんど仲家なかいへ、その子蔵人くらんど太郎仲光なかみつも、散々に戦ひ、一所で討ち死にしてげり。この仲家とまうすは、故帯刀たてはき先生せんじやう義賢よしかたが嫡子なり。しかるを父討たれて後、孤児みなしごにてありしを、三入道にふだう養子やうじにして、不便ふびんにし給ひしかば、日頃の契約をたがへじとや、一所で死ににけるこそ無残なれ。三位入道、渡辺の長七ちやうじつとなふを召して、「我が首討て」とのたまへば、しうの生け首討たんずることの悲しさに、「つかまつとも存じさふらはず。御自害候はば、その後こそ給はり候はめ」とまうしければ、げにもとや思はれけん、西に向かひ手を合はせ、高声かうじやう十念じふねん唱へ給ひて、最期の言葉ぞあはれなる。




源大夫判官(源兼綱かねつな頼政よりまさの次男)は、大力でしたので、次郎丸を捕って抑え首を掻き、立ち上がろうとするところに平家の兵たちが、十四五騎落ち重なって、終に兼綱を討ちました。伊豆守仲綱(源仲綱。頼政<の嫡男)も散々に戦い、痛手を数多く負って、平等院の釣殿([寝殿造りの東西の対から出た廊の南端にある殿])で自害しました。仲綱の首は下河辺藤三郎清親(下河辺清親)が捕って、大床([神社の簀子縁])の下へ投げ入れました。六条蔵人仲家(源仲家)、その子の蔵人太郎仲光(源仲光)も、散々に戦い、同じ所で討ち死にしました。この仲家は、故帯刀先生義賢(源義賢)の嫡子でした(次男が木曽義仲です)。父が討たれた後(義賢を討ったのが源義朝よしともの嫡男義平よしひらですが、平治の乱で父子ともに亡ぼされます)、孤児だったのを、頼政が養子にして、かわいがったので、日頃の約束を果たすために、一所に死んだのはかわいそうなことでした。頼政は、渡辺長七唱(渡辺唱)を呼んで、「わしの首を討て」と言いましたが、主人の生首を討つのは悲しくて、「それはできません。自害された後は、お任せくださいませ」と申したので、頼政はそうだなと思って、西に向かい手を合わせて、大声で十念([南無阿弥陀仏と十回唱えること])を唱えましたが、最期の言葉と思うとあわれに思いました。


続く


by santalab | 2013-11-07 07:00 | 平家物語

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