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「平家物語」都遷(その2)

入道相国の弟、池のちう納言頼盛よりもりきやう山荘さんざう皇居くわうきよになる。同じき四日の日、頼盛、いへしやうとて正二じやうゐ位し給ふ。九でう殿の御子、右大将だいしやう良通よしみちの卿、加階越えられさせ給ひけり。摂禄せふろくの臣の御子息、凡人はんじんの次男に加階越えられさせ給ふこと、これ始めとぞうけたまはる。入道相国にふだうしやうこくやうやう思ひなほつて、法皇ほふわうをば鳥羽の北殿を出だしまゐらせて、都へ還御くわんぎよ成し奉られたりしが、高倉の宮の御謀反によつて、おほきにいきどほり、また福原へ御幸ごかう成し奉り、四面に端板はたいたして、口一つ開きたる内に、三間の板屋を造つて、押し籠め奉る。守護の武士には、原田の大夫種直たねなほばかりぞさふらひける。容易う人の参り通ふべきやうもなければ、わらんべなどは、ろうの御所とぞまうしける。聞くも忌ま忌ましう、浅ましかりしことどもなり。




入道相国(平清盛)の弟、池中納言頼盛卿(平頼盛)の山荘([別荘])が、皇居となりました。同じ四日の日、頼盛は、家の賞([功績をあげた者に与える褒美])として正二位になりました。九条殿(九条兼実かねざね)の子である、右大将良通卿(九条良通)は、頼盛に位を越えられました。摂禄([摂政関白])の大臣の子が、凡人の次男に位を越えられたのは、これが初めてのことでした。入道相国(平清盛)はようやく思い直して、法皇(後白河院)を鳥羽北殿(鳥羽離宮。今の京都市伏見区にあった院御所)から出して、都へ戻されましたが、高倉宮(以仁王)の謀反によって、ひどく憤慨して、また福原(今の兵庫県神戸市兵庫区)に移しました、四面を端板([羽目板])で覆って、入口一つ開いた中に、三間の板屋([質素な家屋])を造って、後白河院を押し籠めました。守護の武士には、原田大夫種直(原田種直。平重盛しげもりの養女婿)ただ一人を付けました。容易く通うことのできない場所でしたので、子どもたちは、牢の御所と呼びました。聞くことさえ憚られるほど、嘆かわしいことでした。


続く


by santalab | 2013-11-09 07:43 | 平家物語

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