また入道相国、一の御厩に立てて、舎人あまた付けて、朝夕撫で飼はれける馬の尾に、鼠一夜の内に巣をくひ子をぞ生んだりける。これ只事にあらず、御占あるべしとて神祇官にして、御占あり。重き御慎みと占ひ申す。この馬は、相模の国の住人、大庭の三郎景親が、東八箇国一の馬とて、入道大相国に参らせたりけるとかや。黒き馬の額の少し白かりければ、名をば望月とぞ言はれける。陰陽の頭安倍の泰親給はつてげり。昔天智天皇の御宇に、寮の御馬の尾に、鼠一夜の内に巣をくひ、子を生んだりけるには、異国の凶賊蜂起したりとぞ、日本記には見えたりける。また源中納言雅頼の卿の許に、召し使はれける青侍が見たりける夢も、恐ろしかりけり。
また入道相国が、一の厩([一番の馬を飼っておく小屋])に置いて、舎人([家来])を数多く付けて、朝夕撫でて大切に飼っていた馬の尾に、鼠が一夜のうちに巣を作って子を生みました。これは只事でなく、御占([占いにより神意をうかがうこと])を行うべきと神祇官([朝廷の祭祀を司る官人])を呼んで、占わせました。慎重にすべしと占いに出ました。この馬は相模国(今の神奈川県)の住人で、大庭三郎景親(大庭景親)が、東八箇国一番の馬として、入道大相国(清盛)に献上したと言われていました。黒馬で額が少し白かったので、名を望月と付けました。陰陽頭安倍泰親が申すには、昔天智天皇(第三十八代天皇)の御時に、馬寮([官馬の飼養・調習を司った役所])の馬の尾に、鼠が一夜のうちに巣を作り、子を生んだ時には、異国(中国)の凶賊が蜂起([勢が一時に暴動・反乱などの行動を起こすこと])したと、日本記(日本書紀)に書かれています。また源中納言雅頼卿(源雅頼)の許に、召し使われていた青侍([身分の低い若侍])が見た夢も、恐ろしいものでした。
(続く)