時に美しき童子一人来たつて、文覚が手を取つて引き上げ給ふ。人奇特の思うひをなして、火を焚きあぶりなどしければ、定業ならぬ命ではあり、文覚ほどなく息出でぬ。大の眼を見怒らかし、大音声を上げて、「我この滝に三七日打たれて、慈教の三洛叉を満てうと思ふ大願あり。今日はわづか五日にこそなれ。いまだ七日だにも過ぎざるに、何者がこれまでは取つて来たれるぞ」と言ひければ、聞く人身のの毛よだつて物言はず。また滝壺に帰り立つてぞ打たれける。第二日と申すに、八人の童子来たつて、文覚が左右の手を取つて、引き上げんとし給へば、散々に掴み合うて上がらず。第三日と申すに、終にはかなくなりぬ。時に滝壺を穢さじとや角髪結うたる天童二人、滝の上より下り下らせ給ひて、よに暖かに香ばしき御手をもつて、文覚が頂上より始めて、手足のつま先、掌にいたるまで、撫で下させ給へば、文覚夢の心地して息出でぬ。「そもそもいかなる人にてましませば、かくは憐れみ給ふやらん」と問ひ奉れば、童子答へていはく、「我はこれ大聖不動明王の御使ひに、矜羯羅、勢多迦と言ふ二童子なり。文覚無上の願を起こし、勇猛の業を企つ。行いて力を合はせよと、明王の勅によつて来たれるなり」とぞ答へ給ふ。文覚声を怒らかいて、「さて明王はいづくにましますぞ」。「兜率天に」と答へて、雲居はるかに上がり給ひぬ。
その時に姿美しい童子が一人やって来て、文覚の手を取って滝から引き上げました。者たちが奇特([不思議])に思って、火を焚き文覚の体を温めると、定業([前世から定まっている善悪の業報])による死ではなかったので、文覚はしばらくして息を吹き返しました。大きな目を怒らせて、「わたしはこの滝(那智の滝)に三七日([二十一日])打たれて、慈教呪(不動明王の呪文)を三洛叉(三十万)回唱え終える大願があったのだ。まだ七日も過ぎないのに、何者がここまで連れてきたのだ」と言うと、これを聞く者はぞっとして何も答えませんでした。文覚は再び滝壺に帰って滝に打たれました。二日目に、八人の童子がやって来て、文覚の左右の手を取って、引き上げようとしましたが、文覚が手を取って拒んだので引き上げることはできませんでした。三日目に、文覚は息絶えました。その時滝壺を穢さないようにと思ったのか角髪([髪])を結った天童([仏教の守護神や天人などが子供の姿になって人間界に現れたもの])が二人、滝の上から下りて来て、とても暖かそうで美しい手で、文覚の頭のてっぺんから、手足のつま先、手にいたるまで、撫でると、文覚は夢から醒めるように生き返りました。文覚が「いったいどういう者ですか、どうしてわたしに情をかけるのです」と訊ねると、童子は答えて、「わたしたちは大聖不動明王(不動明王)の使いで、矜羯羅([八大童子の一。不動明王の脇立ち])、勢多迦([八大童子の第八。不動明王の脇立ち])と言う童子です。あなたが無上([最上])の願を起こして、勇猛([勇気があって何物をも恐れないこと])な修行を実行しようとしています。行って力を合わせよと、明王(不動明王)が命じたのでやって来ました」と答えました。文覚は声を荒げて、「ならば明王はどこにおられるのか」と訊ねました。童子は「兜率天([六欲天の第四天])におられます」と答えて、天高く上っていきました。
(続く)