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「平家物語」五節沙汰(その1)

平家の方には、しづまりかへつて音もせず。人を入れて見せければ、「皆落ちてさふらふ」とまうす。あるひはかたきの忘れたるよろひ取つてまゐる者もあり、あるひは平家の捨て置いたる大幕おほまく取つてかへる者もあり。「およそ平家のぢんには、はいだにも駆けり候はず」と申す。兵衛の佐、急ぎむまより下り、かぶとを脱ぎ、手水てうづうがひをして、王城わうじやうの方を伏しをがみ、「これはまつたく頼朝がわたくしの高名かうみやうにはあらず、ひとへに八幡はちまん大菩薩の御ぱからひなり」とぞのたまひける。やがて、討つ取るところなればとて、駿河の国をば、一条いちでう次郎じらう忠頼ただより遠江とほたふみの国をば、安田の三郎さぶらう義定よしさだあづけらる。なほも続いて攻むべかりしかども、後ろもさすがおぼつかなしとて、駿河の国より鎌倉へぞ帰られける。海道かいだう宿々しゆくじゆく遊君いうくん遊女いうぢよども、「あな忌々いまいましの討つ手の大将軍や。いくさには見逃げをだに浅ましきことにするに、 平家の人々は聞き逃げし給へり」とぞ笑ひける。さるほどに落書らくしよどもおほかりけり。都の大将軍をば宗盛むねもりと言ひ、討つ手の大将だいしやうをば、ごんすけと言ふあひだ、平家をひらやに読みなして、

ひらやなる 宗盛いかに 騒ぐらむ 柱と頼む 亮を落として

富士川の 瀬瀬の岩越す 水よりも はやくも落つる 伊勢平氏かな




平家の方は、静まり返って音もしませんでした。人を遣って見にいかせると、「皆逃げております」と申しました。ある者は敵(平氏)の忘れ置いた鎧を取って返り、ある者は平家が捨て置いた大幕([陣営を覆うための幕])を取って帰る者もありました。「平家の陣には、蝿さえも飛んでおりません」と申しました。兵衛佐(源頼朝)は、急ぎ馬から下りて、兜を脱ぎ、手水うがいをして、王城(京)の方に伏して拝み、「これはまったくもってわたし頼朝の高名([手柄])ではなく、ひとえに八幡大菩薩(今の京都府八幡市の石清水八幡の本地ほんぢ菩薩)のお計らいである」と言いました。すぐに、討ち取った場所である、駿河国(今の静岡県の中央部)を、一条次郎忠頼(一条忠頼)、遠江国(今の静岡県西部)を、安田三郎義定(安田義定)の知行としました。なおも続いて攻めるべきでしたが、後方もさすが不安だと、頼朝は駿河国より鎌倉に帰りました。東海道の宿々の遊君([遊女])遊女たちは、「なんと情けない討手の大将軍か。戦を見逃げするのも恥しいことなのに、平家の者たちは聞き逃げするとは」と言って笑いました。やがて落書が多く書かれました。都の大将軍を宗盛(平宗盛。清盛の三男)と言い、討手の大将を権亮(平維盛これもり重盛しげもりの嫡男)と言ったので、平家をひらやと読んで、

平家の、宗盛はどれほど、驚き騒いだことだろう。柱と頼りにした。亮が逃げてしまったのだから。

富士川の、瀬の岩を越す、水よりも、あっと言う間に落ちる、伊勢平氏どもよ。


続く


by santalab | 2013-11-11 21:48 | 平家物語

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