秋の風の芭蕉を破るに異ならず。冬の霜の群葉を枯らすに相同じ。これひとへに神明仏陀の助けなり。さらに義仲が武略にあらず。平氏敗北の上は、参洛を企つるなり。今叡岳の麓を過ぎて、洛陽の巷に入るべし。この時に当たつて、密かに疑殆あり。そもそも天台の衆徒は、平氏に同心か、源氏に依りきか。もしかの悪徒を助けらるべくは、衆徒に向かつて合戦すべし。もし合戦をいたさば、叡岳の滅亡踝を回らすべからず。悲しいかな、平氏宸襟を悩まし、仏法を滅ぼす間、悪逆を鎮めんがために、義兵を起こすところに、たちまちに三千の衆徒に向かつて、不慮の合戦をいたさんことを。いたましきかな、医王山王に憚り奉て、行程に遅留せしめば、朝廷緩怠の臣として、永く武略瑕瑾の誹りを残さんことを。進退に惑つて、予て案内を啓するところなり。請ひ願はくは天台の衆徒、神のため仏のため国のため君のために、源氏に同心して、凶徒を誅し、鴻化に浴せん。懇丹の至りに堪へず。義仲恐惶慎んで申す。寿永二年六月十日の日、源の義仲進上。恵光坊の律師の御房へ」とぞ書かれたる。
平家を滅ぼすことなど秋風が芭蕉([バショウ科の多年草])の葉を破るようなものです。冬の霜が群葉([枝にむらがってついている多くの葉])を枯らすのと同じこと。これはただただ神明([神])仏陀([仏])の助けによるものです。申すまでもなくわたし義仲(木曽義仲)の武略によるものではありません。平家を破った上は、参洛([京に上ること])することを考えています。今にも叡岳(比叡山)の麓を過ぎて、洛陽(京)の市中に入ります。この今、密かに疑殆([疑い危ぶむこと])することがあります。そもそも天台宗の衆徒([僧])たちは、平家に同心するのか、源氏に味方するのかということです。もし悪徒(平家)を助けるのであれば、わたしは衆徒に向かって合戦するでしょう。もし合戦すれば、叡岳の滅亡はまたたく間です。悲しいことです、平氏が宸襟([天子の心])を悩ませ、仏法を滅ぼそうとしているので、悪逆(平家)の兵を平定するために、義兵([正義のために起こす兵])を起こそうとしているところに、たちまち三千の衆徒に向かって、不慮([意外])の合戦をすることになれば。いたましいことです、医王(薬師如来。延暦寺東塔=本堂の秘仏。最澄自作の伝承がある)山王(滋賀県大津市にある日吉大社の祭神)に憚って、参洛を遅留することは、朝廷に緩怠([無礼を働くこと])した臣として、永く武略瑕瑾([恥])の誹りを残すことになります。参洛に迷い、前もって案内([意向])を申し上げます。請い願わくは天台宗(比叡山)の衆徒よ、神のため仏のため国のため君([天皇])のために、源氏に味方して、凶徒(平家)を倒し、鴻化([天子の広大な教化・恵み])に与かろうではありませんか。懇丹([まごころを尽くして願うこと])の至りに堪えることができません。義仲が恐惶([恐れ畏まること])慎んで申し上げます。寿永二年(1183)六月十日、源義仲が進上。恵光坊の律師(澄豪。がすでに故人)の御房(弟子)へ」と書いてありました。
(続く)