漢天すでに開けて、雲東嶺にたなびき、明け方の月白く冴えて、鶏鳴また忙はし。夢にだにかかることは見ず。一年都移りとて、にはかに慌たたしかりしは、かかるべかりける前表とも、今こそ思ひ知られけれ。摂政殿も行幸に供奉して、御出ありけるが、七条大宮にて、角髪結うたる童子の、御車の前を、つと走り通るを御覧ずれば、かの童子の左の袂に、春の日と言ふ文字ぞ表はれたる。春の日と書いては、春日と読めば、法相擁護の春日大明神、大織冠の御末を守り給ふにこそと、頼もしう思し召すところに、件の童子の声と思しくて、
いかにせむ 藤の末葉の 枯れゆくを ただ春の日に 任せたらなむ
漢天([天の川のかかって見える空])はすでに明けて、雲は東嶺([京都東山])にたなびき、明け方の月(有明の月)は白くくっきりと見え、鶏鳴([鶏の鳴き声])も忙しそうでした。夢にさえもかつて見たことがありませんでした。一年間都が福原に移って、急に慌ただしくなったのは、この前兆だったと、今になって思い知らされたのでした。摂政殿(近衛基通、平清盛の子である完子の夫で安徳天皇の摂政)も行幸([天皇が外出すること])のお供に付いて、出かけましたが、七条大宮(今の京都市下京区)で、髪を結った男の子が、車の前を、つっと走り横切るのをご覧になれば、男の子の左の袂に、春の日と言う文字が見えました。春の日と書いて、春日と読めば、法相([万象])擁護([衆生の祈願に応じて、仏や菩薩(が守り助けること])の春日大明神(春日大社の四神。天児屋命、武甕槌命、経津主命、比売神)となり、大織冠([臣下に授けられた最高の冠、官位]。藤原鎌足のこと)の子孫を守ってほしいと、基通が頼みに思っていると、さきほどの男の子の声で歌が聞こえました、
どうすればよいのでしょうか、藤の下の葉が枯れていくのを、ただ春の光にゆだねるだけなのでしょうか(いいえそうではありませんよ。[藤の末葉]=[藤原氏の子孫]が絶えていくのを憂うのならば、ひたすら春日大明神を頼りなさい)。
(続く)