目代は紀の刑部の大輔道資と言ふ者なり。平家海人小舟に召したる由承つて、大船百余艘点じて参らせたりければ、平家これに乗り移り、四国へぞ渡られける。阿波の民部重能が沙汰として、讃岐の国屋島の磯に形のやうなる板屋の内裏や、御所をぞ造らせける。そのほどは怪しの民屋を皇居とするに及ばねば、船を御所とぞ定めける。大臣殿以下の卿相雲客は、海人の苫屋に日を暮らし、船の内にて夜を明かす。竜頭鷁首を海中に浮かべ、波の上の後宮は、静かなる時なし。月を浸せる潮の深き愁へに沈み、霜を覆へる葦の葉のもろき命を危ぶむ。
目代([国守の代理人])は、紀刑部大輔道資という者でした。平家の者たちが海人小舟([海人の乗る小舟])に乗っているのを聞いて、大船百艘余りを準備してやって来たので、平家の者たちは大船に乗り移って、四国へ渡りました。阿波民部重能(阿波重能)の命令で、讃岐国(今の香川県)の屋島(今の香川県高松市)の磯に形ばかりの板屋の内裏や、御所を造らせました。それは粗末な家屋で皇居にできるようなものではなかったので船を御所と決めました。大臣殿(平宗盛。清盛の三男)以下の卿相雲客([公卿と殿上人])は、漁師の苫屋([苫で屋根を葺いた家])で昼は暮らし、船の中で夜を明かしました。竜頭鷁首([船首にそれぞれ竜の頭と鷁の首とを彫刻した二隻一対の船]、[鷁]=[中国で想像上の水鳥])を海中に浮かべて、波の上の後宮([内裏])は、静かな時がありませんでした。月を映す潮のような深い悲しみに沈み、霜を覆った葦の葉のようにもろい命を不安に思うのでした。
(続く)