殿上口に召されて、「如何に親広。義時既に朝敵となりたり。鎌倉へ付くべきか、味方へ参ずべきか」と仰せ下されければ、「いかでか宣旨を背き奉るべき由」申しければ、「さらば誓書を以つて申すべき由」仰せらる。二枚書きて、君に一枚、北野に一枚参らせけり。この上は一方の大将に頼み思し召す由仰せ合はせられけり。
後鳥羽院は殿上口に大江親広を呼んで、「どうする親広よ。義時(北条義時)はすでに朝敵となったぞ。鎌倉に付くか、それとも我が味方に参るか」と申したので、親広は「どうして宣旨に背くことができましょう」と申しました、後鳥羽院は「ならば誓書([誓いの言葉を記した文書])を書け」と命じました。親広は二枚書いて、君(後鳥羽院)に一枚、北野(京都市上京区にある北野天満宮)に一枚参らせました。こうして一方の大将として仕えるよう命じたのでした。
(続く)