また武蔵の国の住人、別府の小太郎清重とて、生年十八歳になりけるが、進み出でて申しけるは、「父にて候ひし義重法師が教へ候ひしは、たとへば山越えの狩りをせよ、または敵にも襲はれよ、深山に迷ひたらんずる時は、老馬に手綱結んで打ち掛け、先に追つ立てて行け、必ず道へ出でうずるぞとこそ教へ候ひしか」と申しければ、御曹司、「易しうも申したるものかな。雪は野原を埋めども、老いたる馬ぞ道は知ると言ふ例あり」とて、白葦毛なる老馬に、鏡鞍置き、白轡嵌げ、手綱結んで打ち掛け、先に追つ立てて、いまだ知らぬ深山へこそ入り給へ。頃は如月初めのことなれば、峰の雪叢消えて、花かと見ゆるところもあり、谷の鶯音連れて、霞に迷ふところもあり。上れば白雪皓々としてそびえ、下れば青山峨々として岸高し。松の雪だに消えやらで、苔の細道かすかなり。嵐に類ふ折々は、梅花ともまた疑はれ、東西に鞭を上げ、駒を早めて行くほどに、山路に日暮れぬれば、皆下り居て陣を取る。
また武蔵国の住人、別府小太郎清重(別府清重)という、生年十八歳になる者が、進み出て申すには、「父である義重法師(別府義重)が教えてくれたことですが、たとえば山越えの狩りに出て、または敵に襲われて、深山に迷った時には、老馬に手綱を結んで掛け、先に立てて付いて行け、必ず道へでることができると教えてくれました」と申すと、御曹司(源義経)は、「それはよいことを聞いた。雪は野原を埋めるが、老いた馬は道を知っていたと言う例もある」と申して、白葦毛([白毛の多くまじった葦毛=年齢につれて白い毛がまじってくるもの])の老馬に、鏡鞍([前輪と後輪に金、銀などの薄板を張った鞍])を置き、白轡([磨き込んで白く光っている轡])を嵌め、手綱を結んで掛け、先に立てて、知らぬ深山に入れました。頃は如月([陰暦二月])初めのことでしたので、峰の雪叢([雪の塊])は消えて、花かと見間違うところもあり、谷では鶯が鳴いて、霞が立ち迷うこともありました。山を上れば白雪は皓々([白く光り輝くさま])とそびえ立ち、下れば青山は峨々([山や岩石などが険しくそびえ立っている様])として切り立っていました。松の雪さえ消えずに、苔の細道がかすかに続いていました。嵐と間違えるほどの強風が吹くと、雪が梅の花のように舞い散って、東西に鞭を上げて、駒([馬])を早めて行くほどに、山路の日は暮れて、皆馬から下りて陣を取りました。
(続く)