越中の前司これを見て、「詮ない殿ばらの鹿の射やうかな。只今の矢一筋では、敵十人を大将軍九郎御曹司義経、平家の城郭遥かに見下しておはしけるが、馬ども落といてみんとて、少々落とされけり。あるひは宙にてころんで落ち、あるひは脚打ち折つて死ぬるもあり。されどもその中に、鞍置き馬三匹、相違なく落ち付いて、越中の前司が館の前に、身震ひしてこそ立つたりけれ。御曹司、「馬は主々が心得て落とさんには、いたうは損ずまじかりけるぞ。くは落とせ、義経を手本にせよ」とて、先づ三十騎ばかり、真つ先駆けて落とされければ、三千余騎の兵ども、皆続いて落とす。そこしも小石まじりの真砂なりければ、流れ落としに二町ばかりざつと落といて、段なるところに控へたり。それより下も見下せば、大磐石の苔生したるが、つるべ下しに十四五丈ぞ下つたる。それより先へは進むべきとも見えず。また後ろへ取つて返すべき様もなかりしかば、兵ども、ここぞ最期と申して、あきれて控へたるところに、三浦の佐原の十郎義連、進み出でて申しけるは、「我らが方では、鳥一つ立つてだにも、朝夕かやうのところをば馳せありけ。これは三浦の方の馬場ぞ」とて、真つ先駆けて落としければ、大勢皆続いて落とす。後陣に落とす者の鐙の鼻は、先陣の鎧兜に触るほどなり。余りのいぶせさに、目を塞いで落としける。えいえい声を忍びにして、馬に力を付けて落とす。大方人の仕業とは見えず、ただ鬼神の所為とぞ見えし。落としも果てぬに、時をどつとぞ作りける。三千余騎が声なれども、山彦答へて十万余騎とぞ聞こえける。村上の判官代康国が手より火を出だいて、平家の館仮屋を、片時の煙と焼き払ふ。黒煙すでに押し掛けければ、平家の兵ども、もしや助かると、前なる海へぞ多く走り入りける。
越中前司(平盛俊)はこれを見て、「つまらぬことをするものだ鹿を射るとは。その矢一つで、敵十人を防げるものを。罪を作り矢を失うとは」と矢を射るのを止めました。やがて源氏の大将軍九郎御曹司義経(源義経)は、平家の城郭を遥かに見下ろしていましたが、馬を落としてみようと、少々馬を落としました。ある馬は宙でひっくり返って落ち、ある馬は足を折って死ぬものもありました。けれどもその中で、鞍を置いた馬三匹は、どれも落ち立って、越中前司の館の前に、身震いして立ちました。御曹司(源義経)は、「馬は主が気を付けて落とせば、ひどくは痛まないぞ。さあ落とせ、わたし義経を手本にせよ」と申して、先ず三十騎ばかり、真っ先に落とすと、三千騎余りの兵たちは、皆続いて馬を落としました。そこは小石まじりの砂地でしたので、流れ落ちるように二町(約200m)ばかり落ち下ると、段のあるところに止まりました。そこから下を覗くと、大磐石([非常に大きな岩])に苔が生えていて、そこから先には進むことができないように思えました。また後ろへ返すこともできなくて、兵たちは、もはやこれまでかと言って、気を落としているところに、三浦国の佐原十郎義連(佐原義連)が、進み出て言うには、「わたしたちのところでは、鳥一羽立つようなところを、朝夕馳せていたのです。ここは三浦国の馬場と同じです」と言って、真っ先駆けて落ちると、大勢の兵たちも皆続けて馬を落としました。後から落とす者の鐙の先は、前の者の鎧兜に当たるほどでした。余りにも恐ろしくて、目を塞いで落としました。えいえいの声を小さく上げて、馬に力付けて落としました。まったく人のすることには思えませんでした。ただ鬼神の所為([振る舞い])のようでした。皆が落ちる前に、兵たちは時の声をどっと上げました。三千騎余りの声でしたが、山彦となって十万騎余りのように聞こえました。村上判官代康国(村上康国)の手の者が火を付けて、平家の館仮屋を、たちまち煙にして焼き払いました。黒煙が押し掛けたので、平家の兵たちは、もしや助かるかもと、前の海へ多くの者が走り入りました。
(続く)