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「平家物語」越中前司最期(その2)

越中ゑつちう前司せんじも、一目にはに三じふ人が力あらはすと言へども、内々は六七じふ人して上げ下ろす船を、ただ一人いちにんして押し上げ押し下すほどの大力だいぢからなり。されば猪俣ゐのまたを捕つて抑へて働かさず、猪俣下に伏しながら、刀を抜かうどすれども、指の股はだかつて、刀のつかを握るにも及ばず、物を言はうどすれども、余りに強う抑へられてこゑも出でず。されども猪俣は大剛だいかうの者にてありければ、しばしの息を休めて、「かたきの首を捕ると言ふは、我も名乗つて聞かせ、敵にも名乗らせて、首捕つたればこそ大功たいこうなれ。名も知らぬ首捕つて、何にかはし給ふべき」と言ひければ、越中の前司げにもとや思ひけん、「本は平家の一門たりしが、身不肖ふせうなるによつて、当時たうじは侍になされたる越中の前司盛俊もりとしと言ふ者なり。和君わぎみは何者ぞ。名乗れ、聞かう」ど言ひければ、「武蔵の国の住人、猪俣の小平六こべいろく則綱のりつなと言ふ者なり。ただ今我が命助けさせおはしませ。さだにもさふらはば、御辺ごへんの一門、何じふ人もおはせよ、今度の勲功のしやうまうし代へて、御命ばかりをば助け奉らん」と言ひければ、越中の前司おほきに怒つて、「盛俊身不肖なれども、さすが平家の一門なり。盛俊源氏を頼まうども思ひもよらず。源氏また盛俊に頼まれうども、よも思ひ給はじ。憎い君が申しやうかな」とて、すでに首を掻かんとしければ、「まさなうざふらふ。降人かうにんの首かく様やある」と言ひければ、「さらば助けん」とて赦しけり。まへ堅田かただの畑のやうなるが、後ろは水田みづたごみ深かりけるくろうへに、二人ながら腰うち掛けて、息継ぎたり。




越中前司(平盛俊もりとし)も、一目見て三十人力に見えましたが、実は六七十人で上げ下ろす船を、たった一人で押し上げするほとの大力の者でした。なので猪俣(則綱のりつな)を捕えると動けないようにしました、猪俣(則綱)は下に伏せられながらも、刀を抜こうとしましたが、指が開いていたので、刀の柄を握ることができず、何か言おうとしましたが、あまりに強く押さえつけられていたので声も出せませんでした。けれども猪俣(則綱)は大剛([とても強い者])の者でしたので、しばらく息を整えて、「敵の首を捕る時は、自ら名乗って聞かせ、敵にも名乗らせて、首を捕ってこそ大功([大きな手柄・功績])ではないか。名も知らぬ敵の首を捕っても、仕方ないことだ」と言うと、越中前司(平盛俊)もなるほどと思い、「わしはもとは平家の一門であったが、身不肖([愚か者])故に、今は侍となった越中前司盛俊と言う者だ。お主は何者ぞ。名乗れ、聞いてやろう」と言いました、猪俣(則綱)は「わたしは武蔵国の住人で、猪俣小平六則綱と言う者です。わたしの命を助けてください。もし助けてもらえたら、あなたの一門が、何十人おられようとも、今度の勲功([国家や君主に尽くした功績])の賞([褒美])に代えて、命ばかりは助けましょう」と言うと、越中前司(平盛俊)はたいそう怒って、「わし盛俊は愚か者ではあるが、それでも平家の一門である。わしが源氏に命を助けてもらおうなどとは思いもよらぬこと。源氏もまたわし盛俊を当てにすることなど、まさか思わないはず。憎むべき敵が申すべきではない」と言って、猪俣(則綱)の首を捕ろうとすると、猪俣(則綱)は「確かにその通りです。けれど降人([降参した者])の首を捕ってよいものでしょうか」」と言ったので、盛俊は「降参したなら助けよう」と言って猪俣(則綱)を助けました。前は堅田([水が乾いて土のかたくなった田])の畑のようでしたが、後ろは水田の塵([水底にたまった泥状のもの])深い畔([水田と水田との間に土を盛り上げてつくった小さな堤])の上に、二人腰をかけて、息を休ませていました。


続く


by santalab | 2013-11-18 19:40 | 平家物語

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