はるかにほど経て後、取り上げ奉たりけれども、早やこの世になき人となり給ひぬ。白き袴に、練貫の二つ衣を着給へり。上も袴も潮垂れて、取り上げけれども甲斐ぞなき。乳母の女房、手に手を取り組み、顔に顔を押し当てて、「などやこれほどに思し召し立つことならば、わらはをも千尋の底までも、引きこそ具せさせ給ふべけれ。恨めしうもただ一人留めさせ給ふものかな。さるにても、今一度もの仰せられて、わらはに聞かさせ給へ」とて、悶え焦がれけれども、はやこの世になき人となり給ひぬる上は、一言の返事にも及び給はず。わづかに通ひつる息も、はや立て果てぬ。さるほどに春の夜の月も、雲居に傾き、霞める空も明けゆけば、名残りは尽きせず思へども、さてしもあるべきことならねば、浮きもや上がり給ふと、故三位殿の着せ長の一両残つたるを、引き纏ひ奉り、終に海にぞ沈めける。乳母の女房、今度は遅れ奉らじと、続いて海に入らんとしけるを、人々取り止めければ、力及ばず。せめての心の有られずさにや、手づから髪を鋏下ろし、故三位殿の御弟、中納言の律師、忠快に剃らせ奉り、泣く泣く戒を保つて、主の後世をぞ弔ひける。昔より男に遅るる類多しと言へども、様を変ふるは常の習ひ、身を投ぐるまではあり難き例なり。
海に沈んでかなり経ってから、北の方は取り上げられましたが、もはやこの世の人ではありませんでした。白い袴に練貫([平織りの絹織物])の二つ衣([着物を二枚重ねたもの])を着ていました。着物も袴も潮に濡れて、取り上げましたが甲斐がありませんでした。乳母の女房は、手と手を組んで、顔と顔を合わせて、「どうしてですかこれほどに決心されていたならば、わたしも千尋の海の底までも、連れて行ってほしかったのに。情けないことですわたし一人だけが残されるのは。ともかく、もう一度何かおっしゃって、わたしに聞かせてくださいませ」と言って、煩悶しましたが、もうこの世にいない人となった上は、一言の返事もしませんでした。わずかの息も、すでに絶えていました。そして春の夜の月も、雲居に傾いて、霞がかった空も明けていけば、名残りは尽きることはないと思われましたが、北の方をこのまま置いておくこともできないので、浮き上がるからと、故三位殿(平通盛、清盛の異母弟教盛の嫡男で北の方の夫)の着せ長([大鎧。特に大将が着る大鎧])が一つ残っていたのを、身に付けて、海に沈めました。乳母の女房は、今度は遅れないようにと、続けて海に入ろうとしましたが、まわりの者たちに止められたので、どうしようもありませんでした。せめて思い残りを鎮めようと、自ら髪を切って、故三位殿(通盛)の弟である、中納言の律師([僧綱の一つ。僧正、僧都に次ぐ僧官])、忠快(平家とともに都落ちし、檀の浦で捕えられて配流となりますが、後に京に戻されました。この時の僧官は権少僧都、後に権大僧都)に剃らせて、泣く泣く戒律を守り、北の方(小宰相)の後世([来世の安楽])を弔いました。昔から男に先立たれる者は多いといいますが、様を変えて仏門に入るのが世の習い、身を投げるまでは先例のないことでした。
(続く)