さてしもあるべきことならねば、母上は、若君に泣く泣く御物着せ参らせ、御櫛かき撫でて、すでに出だし参らせんとし給ひけるが、黒木の数珠の小さう美しきを取り出だいて、「相構へて、これにて、いかにもならんまで、念仏申して極楽へ参れよ」とてぞ奉らる。若君これを取らせ給ひて、「母上には今日すでに別れ参らせ候ひぬ。今はいかにもして、父のましますところへこそ参りたけれ」とのたまへば、妹の姫君の、生年十に成り給ひけるが、「我も参らん」とて、続いて出で給ひけるを、乳母の女房取り止め奉る。六代御前、今年は十にに成り給へども、世の人の十四五よりも大人しく、見目姿美しう、心様言うにおはしければ、敵に弱げを見えじとて、抑ふる袖の隙よりも、余りて涙ぞこぼれける。さて御輿に召され給ふ。武士どもうち囲んで出でにけり。斎藤五、斎藤六も、御輿の左右に付いてぞ参りける。北条、乗り換へどもを下ろいて、馬に乗れと言へども乗らず。大覚寺より六波羅まで、徒歩はだしでぞ参りたる。母上、乳母の女房、天に仰ぎ地に伏して、悶え焦がれ給ひけり。母上、乳母の女房にのたまひけるは、「この日頃、平家の子ども捕り集めて、水に入れ、土に埋み、あるひは押し殺し、刺し殺し、様々にして失ふ由聞こゆなれば、我が子をば、何としてか失はんずらん。歳も少し大人しければ、定めて首をこそ斬らんずらめ。人の子は、乳母なんどの許に遣はして、時々見ることもあり。
とはいえどうしようもないことなので、母上は、若君(平六代)に泣く泣く着物を着せて、髪をかき撫で、家から出させようとしていましたが、黒木の数珠の小さくて美しいのを取り出して、「常に身から離さず、これで、どういうことになるまでも、念仏を唱えて極楽へ参りなさい」と言って与えました。六代はこれを手に取って、「母上には今日でお別れです。今はなんとしてでも、父のおられるところへ参りたいと思います」と言えば、妹の姫君で、生年十歳になっていましたが、「わたしも一緒に参ります」と言って、六代の後に付いて出て行こうとしたので、乳母の女房が取り止めました。六代御前は、今年十二歳になっていましたが、世の者の十四五歳よりも大人っぽく、顔かたち美しく、心ざまは言うまでもないことでしたので、敵に弱みを見せまいと、抑えた袖の間からも、余った涙がこぼれました。やがて輿に乗りました。武士たちがまわりを囲んで出て行きました。斎藤五(斎藤宗貞)、斎藤六(斎藤宗光)も、輿の左右に付いて行きました。北条(北条時政)は、乗り換えの馬に乗った武士を下ろして、馬に乗るように言いましたが六代は乗りませんでした。大覚寺から六波羅まで、歩いて行きました。母上、乳母の女房は、天を仰ぎ地に伏して、泣き叫びました。母上が、乳母の女房に言うには、「この頃、平家の子どもを捕らえ集めて、水に沈め、土に埋め、あるには押し殺し、刺し殺し、さまざまに殺していると聞きます、我が子も、おそらく殺されることでしょう。歳も少し大きいので、きっと首を斬られるのではないでしょうか。人の子ならば、乳母とかの許に置いて、時々見ることもできましょう。
(続く)