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「平家物語」泊瀬六代(その2)

我が身もはるかにうち送り、「今しばらくも御供まうすべうさふらへども、これは鎌倉に指して披露仕るべき大事ども数多あまた候ふ」とて、それよりうち別れてぞ下られける。まことに情け深かりけり。さるほどに高雄たかを文覚もんがく上人しやうにん、若君受け取り奉て、夜を日に継いで上るほどに、尾張をはりの国熱田の辺にて、今年もすでに暮れぬ。明くる正月しやうぐわつ五日の夜に入つて、都へ上り、二でう猪熊ゐのくまなる所に、文覚ばうの宿所のありけるに、先づそれに落ち付いて、若君しばらく休め奉り、夜半ばかりに大覚だいかく寺へ入れ奉り、門を叩けども、人なければ音もせず。若君の飼ひ給ひたりける白いの子の、築地ついぢくづれより走り出でて、を振つて迎ひけるに、若君、「母うへはいづくにましますぞ」とのたまひけるこそいとほしけれ。斎藤五、斎藤六、案内は知つたり、築地を越え、門を開けて入れ奉る。




時政(北条時政ときまさ。北条政子の父)ははるか遠くまで斎藤五、斎藤六を見送って、「もう少しお供したいが、わしは鎌倉に行って話すべき大事なことがたくさんあるので」と言って、そこで別れて下って行きました。本当に情け深い者でした。すぐに高雄(今の京都市右京区。神護寺)の文覚上人は、若君を受け取って、昼夜通して京に上りました、尾張国熱田(今の愛知県名古屋市熱田)の辺りで、今年も暮れました。明けた正月五日の夜になって、都に着いて、二条猪熊という所に、文覚の宿所がありましたので、先ずそこに落ち付いて、六代をしばらく休ませてから、夜中になって大覚寺(今の京都市右京区嵯峨にある寺院)に行き、門を叩きましたが、人もいなくて音もしませんでした。六代の飼っていた白い犬の子が、築地([土塀])の崩れた所から走り出て、尾を振って六代を迎えました、六代は、「母上はどこにおりますか」と訊ねる様子がかわいらしくありました。斎藤五、斎藤六は、大覚寺をよく知っていたので、築地を越えて、門を開けて六代を中に入れました。


続く


by santalab | 2013-11-19 18:12 | 平家物語

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