増いて、いつを果てとか、めぐり逢ふべき限りだになく、雲の波煙の波の幾重とも知らぬ境に、身を尽くし給ふべき御さまども、口惜しとも愚かなり。このおはします所は、人離れ里遠き島の中なり。海づらよりは少し引き入りて、山蔭に方添へて、大きやかなる巌のそばだてるを頼りにて、松の柱に葦葺ける廊など、気色ばかり事削ぎたり。まことに、「柴の庵のただしばし」と、仮初めに見えたる御宿りなれど、さる方になまめかしく故付きてしなさせ給へり。水無瀬殿思し出づるも夢のやうになん。はるばると見遣らるる海の眺望、二千里の外も残りなき心地する、いまさらめきたり。潮風のいとこちたく吹き来るを聞こし召して、
我こそは 新島守よ 隠岐の海の 荒き浪かぜ 心して吹け
おなじ世に 又すみの江の 月や見ん けふこそよそに 隠岐の島もり
ましてや、いつまで隠岐で暮らすことになるのか、都に帰る日は来るのかも定かではなく、雲の波煙の波幾重とも知れぬ都の外で、生涯を終えられるように思われるそのご様子は、無念と申すのもおろかなことでございました。後鳥羽院(第八十二代天皇)がおられる所は、人里離れた遠い島の中でございました。海際よりは少し奥まった所に、山蔭に寄り添うように、大きな岩が切り立っておりましたがそれを頼りに、松柱に葦葺きの廊などを、形ばかり質素に設えただけのものでございました。まこと、「柴の庵([粗末な家])にほんのしばらく」と、仮初めに住まわれた宿所でございましたが、内裏を真似て調えたものでございました。水無瀬殿(現大阪府三島郡島本町にあった後鳥羽院の離宮)を思し出されては夢のように思われました。はるばると見渡す海の眺望は、二千里の外に何もないような気がして、いまさらながら悲しくなるのでございました。潮風がひどく激しく吹くのをお聞きになられて、
わたしこそが、新しい島守であるぞ。隠岐の海の荒く吹く風よ、そのことをわきまえて吹くのだぞ。
この世のうちに、もう一度住之江(現大阪市住之江区)の月を眺めてみたいものよ。今夜は他所で隠岐の島守として眺めておるが。
(続く)