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「平家物語」大原御幸(その5)

この尼の有様を御覧ずれば、身には絹布の分きも見えぬものを、結び集めてぞ着たりける。あの有様にても、かやうのことまうす不思議さよと思し召して、「そもそもなんぢはいかなる者ぞ」とおほせければ、この尼さめざめと泣いて、しばしは、御返事ぺんじにも及ばず。ややあつて涙を抑へて、「申すにつけてはばかり思えさぶらへども、故少納言せうなごん入道信西しんせいが娘、阿波あはの内侍と申す者にて候ふなり。母は紀の二位にゐ、さしも御愛ほしみ深うこそ候ひしに、御覧じ忘れさせ給ふにつけても、身の衰へぬるほど思ひ知られて、今更先なうこそ候へ」とて、袖をかほに押し当てて、忍び敢へぬ様、目も当てられず。法皇ほふわう、「げにも汝は、阿波内侍にてあるござんなれ。御覧じ忘れさせ給ふぞかし。何事につけても、ただ夢とのみこそ思し召せ」とて、御涙堰き敢へさせ給はねば、供奉ぐぶ公卿くぎやう殿上人も、不思議のこと申す尼かなと思ひたれば、ことわりにて申しけりとぞ、各々感じ合はれける。




この尼の姿を御白河院がご覧になれば、身には絹布を裁ち分けたとは思えないものを、つなぎ合わせて着ていました。この姿をご覧になられて、そのようなことを聞くのは非常識ではないかと思われましたが、「いったいそちは何と申す者ぞ」と仰せられました、この尼はしきりに涙を流して、しばらくは、返事を返すことができませんでした。すこしたって涙を抑えてから、「申すのも憚れることでございますが、わたしは故少納言入道信西(俗名は藤原通憲みちのり、後白河院政の中心人物でしたが、信西と反目した藤原信頼のぶより、源義朝よしともが後白河院を内裏に閉じ込めて、信西を殺しました。これが、平治の乱(1159)で、この時に後白河院を救い出したのが平清盛なのです。藤原信頼、源義朝も親後白河院派でしたから、後白河院を中心とした勢力争いということなのでしょうが、後に後白河院が平家追討の命を下すことになりますから、まったくもって、あの当時そして今もこの世は不条理なのかもしれません)の娘、母は紀二位(藤原朝子あさこ、紀伊局、雅仁まさひと親王、つまり、後の後白河天皇です、の乳母でした)でございます、あれほど愛情深かった(つまり、後白河院と阿波内侍は乳兄弟です)ことでしたのに、お忘れになられてしまったのも、すっかり身を落としてしまったからと思い知らされたのでございます、今更どうしようもないことではございますが」と言って、袖を顔に押し当てて、涙を堪えきれない様は、とても見ていられませんでした。後白河院は、「確かにそちは、阿波内侍ぞよ。決して忘れてはおらぬ。とにもかくにも、今はこの世はすべて夢のようなものと思うことぞ」と申して、涙を塞き止めることができなかったので、お供の公卿殿上人も、世にも不思議なことを申す尼であると、なるほど話すに忍びないことであると、誰もが感じたのでした。


続く


by santalab | 2013-11-21 13:45 | 平家物語

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