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「平家物語」能登殿最期(その2)

平大納言時忠ときただきやうは、生捕りにせられておはしけるが、「あれはいかに、内侍所にて渡らせ給ふぞ。凡夫ぼんぶは見奉らぬことぞ」とのたまへば、つはものども舌を振つて恐れをののく。その後判官はうぐわん時忠の卿にまうし合はせて、元の如くからをさめ奉らる。さるほどに、門脇のへい中納言ぢうなごん教盛のりもり修理しゆり大夫だいぶ経盛つねもり兄弟きやうだい手に手を取り組み、鎧のうへいかりを負うて、海にぞしづみ給ひける。小松の新三位しんざんみ中将ちうじやう資盛すけもり、同じき少将せうしやう有盛ありもり従兄いとこの左馬のかみ行盛ゆきもりも、手に手を取り組み、これも鎧のうへに錨を負うて、一緒に海にぞ入り給ふ。人々はかやうにし給へども、大臣おほい殿父子ふしは、さもし給はず、船端ふなばたに立ち、四方しはう見巡らしておはしければ、平家の侍ども、あまりの心憂さに、そば伝走つとわしりとるやうにて、先づ大臣殿を海へがばと突き入れ奉る。これを見て衛門ゑもんかみ、やがて続いて飛び入り給ひぬ。人々は、鎧の上に、重き物を負うたりいだいたりして、入ればこそ沈め、この一親子は、さもし給はず。




平大納言時忠卿(平時忠、清盛の継妻時子ときこの同母弟)は、生捕りにされていましたが、「あれは、内侍所ぞ。天皇でない者は見てはならない物だ」と言ったので、兵たちは恐れ慄きました([舌を振る]=[非常に驚き恐れる])。その後判官(源義経)は時忠卿(平時忠)の言う通りに、元のように括って納めました。そうこうしているうちに、門脇の平中納言教盛(平教盛、清盛の異母弟)、修理大夫経盛(平経盛、清盛の異母弟)、兄弟が手に手を取って組み、鎧の上に錨をのせて、海に沈んでいきました。小松新三位中将資盛(平資盛、清盛の孫。あの建礼門院右京大夫の恋人)、同じく兄弟である少将有盛(平有盛、清盛の孫で資盛の異母弟)、従兄の左馬頭行盛(平行盛、清盛の孫)も、手に手を取って組み、彼らも鎧の上に錨をのせて、三人一緒に海に入っていきました。平家の者たちは皆こうでしたが、大臣殿父子(父は平宗盛むねもり、清盛の同母弟。子は清宗きよむねらしい)だけは、そうでなく、船の端に立ち、四方を眺めていたので、平家の侍たちは、決心がつかないのだと思って、側に走り近づいて放り出すように、まず大臣殿を海に投げ込みました。これを見て衛門督(清宗は右衛門督でした)も、しばらくたって続いて海に飛び込みました。他の者たちは、鎧の上に、重い物をのせたり抱いたりしていたので、海に沈んでいきましたが、この親子だけは、そうではありませんでした(ので、生け捕りになるのですが)。


続く


by santalab | 2013-11-24 08:21 | 平家物語

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