入道、「今度老ひの頭に兜を頂きて合戦を致す事、まつたく我身の栄華を期するにあらず。ただ討ち勝つて運を開かば、汝らを世にあらせんと思ふ為なり。今義朝を頼みて出るも、我もし安穏ならば、その影にて各々をも助けばやと思ふ故なり。汝らを捨てて、我一人助からんとや思ふらん。齢既に致士に余れば、身のいくばく後栄をか期せん。いかならん所にも深く隠れて侍ふべし。疾く疾く」とて下られけるが、かくて心強くはのたまひしかども、さすが名残りや惜しかりけん、また立ち返つて、「頼賢よ頼仲よ、言ふべき事あり、帰れ」とのたまへば、各々呼ばれて立ち帰る。誠には殊なる事もなけれども、飽かぬ別れの悲しさに、また呼び下し給ひける恩愛のほどこそ哀れなれ。かくの如く互ひに別れを慕へども、さてあるべきにもあらざれば、面々散々にこそ別れ行け。落つる涙に満ち暮れて、行く前さらに冥々たり。悲しきかな、人界に生を受けながら、鳥にあらねども、四鳥の別れをいたし、哀れなるかな、広劫の契りむなしうして、魚にはなけれども、釣魚の恨を含む。涙欄干として、魂飛揚すと見えて、哀れなりし有様なり。
入道(源為義)は、「今回置いた頭に兜をかぶり合戦を行ったのは、決して我が身の栄華([権力や財力によって世に時めき、栄えること])を思ってのことではない。ただ戦いに討ち勝って運が開けば、お前たちを世に知らしめることができると思ったからじゃ。そして今義朝(源義朝。為義の嫡男)を頼って京に出て行くのも、わしがもし無事であったなら、陰ながらお前たちを助けようと思うからなのだぞ。お前たちを捨てて、わし一人だけが助かろうなどとは思っておらん。齢すでに致士([退官]。当時は七十歳が定年だったそうです)になろうとしておるのに、どれほどの後栄([将来の栄華])が期待できるというのじゃ。お前たちはどんな所にでも深く隠れておれ。早く逃げろ」と下っていきましたが、このように心強く言ったものの、さすがに名残り惜しかったのか、またふり返って、「頼賢(源頼賢。為義の四男)よ頼仲(源頼仲。為義の五男)よ、言っておかなくてはならないことがある、帰って来い」と言ったので、子どもたちは皆呼ばれて戻ってきました。本当は殊さら言うこともありませんでしたが、別れの悲しさ故に、また呼び戻す為義の愛情の深さを思うと哀れでした。再び別れ難く思いましたが、いつまでもこうしているわけにもいかないので、子どもたちはそれぞれ別れて行きました。落ちる涙で行く先もよく見えず、前途はさらに見通せませんでした。悲しいことですが、人に生を受けながら、鳥でもないのに、四鳥の別れ([親子の悲しい別れ]。孔子家語による故事)をし、哀れなことですが、広劫([きわめて長い年月])の契りも無になって、魚ではないのに、釣魚のように恨みさえ覚えました。涙がとめどなく流れ、心ここにあらずのように見えて、悲しくて仕方ありませんでした。
(続く)