この公達に各々一人づつ乳母供に付きたりけり。内記平太は天王殿の乳母、青田次郎は亀若、佐野源八は鶴若、原後藤次は乙若殿の乳母なり。さし寄つて髪結ひ上げ汗拭ひなどしけるが、年頃日来宮仕ひ、旦暮撫で刷け奉て、ただ今を限りと思ひける心ともこそ悲しけれ。されば声を上げて、喚く計りにありけれども、幼き人々を泣かせじと、抑ふる袖の下よりも、余る涙の色深く、包む気色も表れて、思ひ遣るさへ哀れなり。乙若、延景に向かつて、「我こそ先にと思へども、あれらが幼な心に、怖ぢ恐れんも無慙なり。また言ふべき事も侍れば、かれらを先に断てばや」とのたまひければ、波多野次郎太刀を抜きて後ろへ回りければ、乳母ども、「御目を塞がせ給へ」と申して皆退きにけり。すなはち三人の首、前にぞ落ちにける。
義朝の弟たち(為義の子)に一人ずつ乳母が付いていました。内記平太は天王の乳母、青田次郎は亀若、佐野源八は鶴若、原後藤次は乙若の乳母でした。近寄って髪を上げ汗を拭ったりしていましたが、日頃から仕えて、旦暮([朝晩])撫でていた子とも、今を限りと思う心は悲しくて仕方ありませんでした。声を上げて、ただ喚くばかりでしたが、幼い子たちを泣かせまいと、涙を抑える袖の下にも、抑えきれない涙がはっきりと見え、涙を包む表情も明らかで、同情するものさえ悲しくなりました。乙若が、延景(波多野延景)に向かって言いました、「わたしを最初にと思いましたが、弟たちが幼な心に、怖がるのもかわいそうなことです。また言い残しておくこともありますので、かれらを先に斬ってください」と言ったので、波多野次郎(延景)は太刀を抜いて子どもたちの後ろにまわりました、乳母たちは、「目をつむりなさい」と言って子どもたちのそばを離れました。すぐに子どもたち三人の首は、前に落ちました。
(続く)