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「保元物語」為朝鬼が島に渡る事並びに最後の事(その3)

大島の者、あまりに物荒く振る舞ひ給へば、竜神八部に捕られて失すらんと喜び思ふところに、事ゆへなくかへり給ふのみならず、あまつさへ、恐ろしげなる鬼童をあひ具して来りたれば、国人ますます怖ぢ恐る。この鬼童の気色を人に見せんとや、常に伊豆の国府へその事となく遣はしけり。しかれば国人、「鬼神の島へ渡り、鬼を捕らへて郎等として、人を喰い殺させらるべし」と、怖ぢ敢へる事なのめならず。されば為朝ためとももなほおごる心や出で来けん。しかれば国人も、「かくてはいかなる謀反をか起こし給はんずらん」など申しけるを、狩野かのう介伝へ聞きて、高倉院の御宇、嘉應かおう二年の春の頃、京上りしてこの由を奏問し、茂光しげみつが領地をことごとく押領し、あまつさえ鬼が島へ渡り、鬼神をやつことして召し使ひ、人民をしへたぐる由を訴へ申しければ、後白河院驚き聞き召して、当国並びに武蔵・相模の勢をもよほして、発向すべき由院宣をなされければ、茂光に相従ふ兵誰々たれだれぞ、伊藤・北条・宇佐美平太へいた・同平次へいじ・加藤太・同加藤次・最六郎・新田四郎・藤内とうない遠景とおかげをはじめとして五百余騎、兵船二十余艘にて、嘉應二年四月下旬に、大島の館へし寄せたり。




大島の者たちは、為朝(源為朝ためとも)があまりに荒い振る舞いをしていたので、竜神八部([天竜八部衆]=[天、竜をはじめとする仏法守護の八神])に捕らわれていなくなったと喜んでいましたが、何事もなく帰ってきただけでなく、その上に恐ろしげな鬼の子を連れて来たので、ますます怖じ気づいて恐ろしがりました。為朝はこの鬼の子を人に見せようとして、いつも伊豆国府に何という用事もなく遣わせました。伊豆国の者たちは、「為朝は鬼神の島へ行って、鬼を捕らえ家来にして、人を喰い殺させようとしている」と、たいそうおびえ恐れました。そうなると為朝もますます乱暴に振る舞うようになりました。伊豆の者たちは、「為朝はきっと謀反を起こすにちがいない」などと言っていることが、狩野介(狩野茂光=工藤茂光)の耳に入ったので、高倉院の御時、嘉応二年(1170)の春頃、京に上ってこのことを天皇に申し上げ、為朝が茂光の領地を押領([他人の所領である田畑や年貢を実力をもって収奪、支配すること])し、その上に鬼が島に渡り、鬼神を下僕として使い、人民を苦しめていることを訴えると、後白河院は驚いて、伊豆国並びに武蔵国(今の東京都あたり)・相模国(今の神奈川県)の勢を集めて、向かい討つように院宣を下されました、茂光は兵を従えて、伊藤・北条・宇佐美平太・宇佐美平次・加藤太(加藤光員みつかず)・同じく加藤次(加藤景廉景廉かげかど)・新田四郎(得川とくがは義季よしすえ?得川=徳川で家康に繋がるらしい。新田義重よししげ=源義重の四男)・藤内遠景(天野遠景)をはじめとして五百騎余り、兵船二十艘余りで、嘉應二年四月下旬に、大島の館に押し寄せました。


続く


by santalab | 2013-11-29 12:49 | 保元物語

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