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「平治物語」信西出家の由来並びに南都落ちの事付けたり最後の事(その3)

石堂山の後ろ、信楽しがらきの峯を過ぎ、はるばる分け入るに、また天変あり。木星、寿命家にあり。大伯経典に侵す時は、忠臣君に代はり奉るといふ天変なり。信西大きに驚き、もとより天文淵源をきはめたりければ、みづからこれを考がふるに、「強き者弱く、弱き者は強しと言ふ文あり。これ君おごる時は臣弱く、臣奢る時は君弱くなると言へり。今、臣奢つて君弱くならせ給ふべし。忠臣君に代はると言ふは、おそらく我なるべし」と思ひて、明くる十日のあした、右衛門尉成景なりかげと言ふ侍を召して、「都の方に何事かある。見てかへれ」とてさし遣はす。成景馬にうち乗つて馳せ行くほどに、木幡たうげにて、入道の舎人武澤と言ふ者、院の御所に火かかつて後、禅門奈良へと聞きしかば、この事申さんとて走りけるに行き遭ひ、しかじかの由を語り、「姉が小路の御宿所も焼き払はれ候ひぬ。これは右衛門督殿、左馬頭殿を語らひ、入道殿の御一門を滅ぼし給はんとのはかりこととこそ承り候へ。その由を告げ参らせむとて、奈良へ参り候ふ」と申せば、下臈におはし所知らせてはしかりなんと思へば、「汝いしく参りたり。春日山の奥、しかじかの所なり」とをしへて、成景は京へ上る由にて、田原の奥に帰り、入道にこの由を申せば、「さればこそ、信西が見たらん事は、よもたがはじと思えつるぞ。忠臣君に代はり奉るとあれば、しかじ、命を失うて御恩を報じ奉らんには。ただし息の通はん程は、仏の御名を唱へ参らせんと思へば、その用意せよ」とて、穴を深く掘り、四方に板をたて並べ、入道を入れ奉り、四人の侍もとどり切つて、「最期の御恩には法名を賜はらん」と、各々をのをの申せば、左衛門尉師光もろみつは西光、右衛門尉成景なりかげは西景、武者所師清もろきよは西清、修理進清実きよざねは西実とぞ付けられける。その後大きなる竹のよをとをして、入道の口に当てて、髻を具して放りうづむ。四人の侍、墓の前にて嘆きけれども、叶ふべき事ならねば、泣く泣く都へ帰りけり。




石堂山(今の京都府綴喜郡宇治田原町あたりの山か?)の後ろ、信楽(今の滋賀県甲賀市信楽町。信楽焼=狸の置物で有名)の峯を過ぎて、はるばる分け入ると、また天変([天空に起こる異変])がありました。木星の、寿命家(「亥」=「北北西」)にありました(木星が「北北西」にあるのは「不吉」だったそうです)。大伯経典に侵す時(金星が昼間も見え続けることらしい)は、忠臣が君に取って代わるという天変でした。信西はとても驚いて、天文の根源を極めていましたから、これはどういうことだと考えるに、「強い者には弱く、弱い者には強くと書いてある書がある。これは君主の力が強大である時は臣下の者は弱くなり、臣下が強くなると君主の力が弱くなるということである。今では、臣下(平家)が奢って天皇の力は弱くなってしまった。忠臣が君の身代りとなるというのは、おそらく私のことであろう」と思って、明けた十日の朝、右衛門尉成景(藤原成景)という侍を呼んで、「都の方で何か事件があるに違いない。様子を見て戻れ」と言って遣わせました。成景は馬に乗って急ぎ向かいましたが、木幡峠(今の京都府宇治市木幡)で、入道(信西)の舎人である武澤が馬に乗って急ぎやって来ました、成景は木幡峠(今の京都府宇治市にある峠)で、信西の舎人武澤に遭いました、武澤は、後白河院の御所に火をつけられましたが、禅門(信西)は奈良へ出かけておりおりますので、わたしは信西殿にこのことを知らせるために急ぎ参りましたが成景とばったり遭ったので、このことを話して、「姉小路(今の京都市中央区)の寝所も焼き払われました。これは右衛門督殿(藤原信頼のぶより)が、左馬頭殿(源義朝よしともと結託して、清盛殿の一門(平家)を滅ぼそうとして企てたことでございます。これを知らせ参ろうとして、奈良へ急いでいるのです」と申すと、成景は下臈([身分の低い者])に行く所を教えては都合が悪いと思って、「よくやって来たな。信西殿は春日山の奥、これこれという所にいるはずだ」と教えて、成景は京に上るように振舞って、田原(今の奈良市)の奥に帰って、信西にこれを申すと、信西は、「きっと、わたしの考えに、きっと間違いはないはずだ。忠臣が君([天皇])に代わるということならば、何があろうと、命を失って恩に報いなければならない。ただ息がある間は、仏の名を唱えたいと思うので、用意をせよ」と言って、穴を深く掘り、四方に板を立て並べて、信西をその中に入れて、四人の侍も髻を切って、「最期の恩として法名を賜りたいのです」と皆が申したので、左衛門尉師光は西光、右衛門尉成景は西景、武者所師清は西清、修理進清実は西実と付けました。その後大きな竹の節を穴に通して、信西の口に当てて、四人の髻を持った信西を埋めました。四人の侍は、墓の前で嘆き悲しみましたが、叶うこともなく、泣きながら都へ帰って行きました。


続く


by santalab | 2013-12-05 21:20 | 平治物語

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