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「平治物語」光頼卿参内の事並びに許由が事付けたり清盛六波羅上着の事(その6)

誠に漢朝の許由きよいうは、富貴の事を聞きてだに、心にいとひ思ふが故に、しき事を聞きたりとて耳をあらひき。いかにいはんや、この光頼みつよりは、朝家の諌臣として、悪逆無道の振る舞ひを見聞給ひて、耳目をも洗ひぬべく思ひ給ふぞことはりなる。たとへば、帝げう天子の位におはします事七十年、御歳すでに老ひて、誰にか天下をゆづるべきとて、賢者を御尋ねありけるに、大臣皆へつらひて、「皇子さいはひにおはします。丹朱たんしゆにこそ継がしめ給はめ」と申せば、尭ののたまはく、「天下はこれ一人の天下にあらず。何をもつてか太子なればとて、非機にさづけて朝民を苦しましむべき。丹朱を始めて九人の皇子、一人としてその器に足らず」とて、あまねく賢人をたづね給ふに、箕山きざんの中に許由と言ふ者、身を納めて隠れたりと聞こし召して、勅使をもつて、御位を譲るべき由を仰せられたりけるに、許由つゐに勅答をだに申さず。あまつさへ富貴尊栄の事を聞いて、けがれたりとて、頴川えいせんの水にて耳を洗ふところに、同じ山中に居山せる巣父そうほと言ふ賢人、牛を引いてこの川に来たり水を飲まんとしけるが、耳を洗ふを見てゆへを問ふに、その趣を語る。巣父がいはく、「賢人の世を逃るるは、廻生木の如しと言へり。かの木は深き谷、けはしき所に立たれば、下よりも道なし。上よりも便りなし。されば大家のうつばりにもいたらず、工のこれを計る事なし。汝世を逃れんと思はば、なほ深山にこそ籠るべきに、なんぞ牛馬の栖に交はつて、例よりも濁つて見えつるか、汚れにけり。然れば牛にもはじ」とて、むなしく引いてかへりけるなり。




漢朝の許由([中国古代の伝説上の人物])は、富貴([金持ち])の話を聞いただけでも、嫌がって、悪い話を聞いたといって耳を洗いました。言うまでもなく、光頼(藤原光頼)は、朝家の諌臣([主君に諫言する家臣])として、悪逆無道([道に背いたひどい行い])を見聞きすれば、耳や目を洗うのが道理でした。たとえば、帝尭([尭]=[中国古代の伝説上の帝王])は天子の位に就いて七十年、年老いて、誰かに天下を譲るべきと、賢者を探していましたが、大臣たちは皆お世辞をならべて、「皇子はまだお元気でおられます。丹朱に継がせるのがよろしいでしょう」と申したので、尭が言うには、「天下はわし一人の天下ではない。どうして太子だからといって、機に応じずに太子に継がせて朝民を苦しませなければならぬのだ。丹朱をはじめ九人の皇子たちは、一人として帝の器には能力が足りん」と言って、広く賢人を探していました、箕山([中国河南省中西部の山])の中に許由という者が、身を隠して居ると聞いて、勅使を遣わして、帝位を譲ることを命じましたが、許由は最後まで受けることはありませんでした。金持ちが栄えていることを聞いて、汚れたと言って、頴川の水で耳を洗っていると、同じ山中に住む巣父といいう賢人が、牛を引いてこの川にやって来て水を飲もうとしました、許由が耳を洗っているのを見て訳を聞くと、許由は理由を語りました。巣父が言うには、「賢人が世を逃れるのは、生木が廻って延びるのと同じです。その木は深い谷、険しい所に立っているので、下には道もなく、上から下りることもできません。ですから大家の梁([屋根の重みを支えるための横木])になることもなく、大工がこの木を使うこともないのです。あなたが世を逃れたいのであれば、もっと深山に籠ればよいでしょう、牛馬が住む所に居るべきではありません、水は確かにいつもより濁っているようです、川はすっかり汚れてしまいました。牛にもこの水を飲ませることはできません」と言って、むなしく牛を引いて帰っていきました。


続く


by santalab | 2013-12-07 08:56 | 平治物語

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