信頼卿は、小袖に赤き大口、冠に巾子紙入れて着給へり。ひとへに天子の御振舞ひの如くなり。大弐清盛は、先づ稲荷の社に参り、各々杉の枝を折りて、鎧の袖に差して、六波羅へぞ着きにける。大内には、定めて今夜や寄せんずらんとて、兜の緒を締めて待ち明かす。
信頼卿(藤原信頼)は、小袖([袖口が小さく縫いつまっている着物])に赤色の大口袴([裾の口が大きい下袴])、冠に巾子紙([冠の纓、つまり冠から上に延びた帯を前方に折り曲げて、髪留めのように挟むのに用いた金紙])を付けてかぶっていました。まるで天皇のような格好でした。大弐清盛(平清盛)は、先づ稲荷の社(伏見稲荷大社。今の京都市伏見区にあります)に参り、杉の枝を折って、鎧の袖にさして、六波羅に着きました(稲荷神社のご神木は「杉」ということで、これを「お守り」にしたのでしょう)。内裏では、必ず今夜攻めてくるだろうと、兜の緒を締めて待ち構えていました。
(続く)