別当惟方は、元来信頼卿の親しみにて、契約深かりしかども、一日舎兄左衛門督の諌言、肝に染みて思はれければ、かやうに主上を盗み出だし参らせられけり。この人は、生得背小さくおはしければ、小別当とぞ人申しける。それに信頼卿に組みして、院・内を押し籠め奉る仲媒をなし、今また盗み出だし参らする中媒せられければ、時の人、中小別当とぞ言ひける。大宮左大臣伊通公は、「この仲は仲媒の仲にてはあらじ。忠臣の忠にてぞあるらん。光頼の諌めによつて、たちまちに誤つて改め、賢者の余薫をもつて、忠臣の振る舞ひをなせば」とぞのたまひける。
別当惟方(藤原惟方)は、もとより信頼卿(藤原信頼)と親交があり、深く約束した仲でしたが、ある日兄である左衛門督(勧修寺光頼=藤原光頼)の忠告が、肝に染みて([肝に染みる]=[心に深く感じて忘れない])、こうして主上(二条天皇)を盗み出したのでした。この人は、生まれつき小さな人でしたので、小別当と人に呼ばれました。そして信頼卿と組んで、院(後白河院)・内(二条天皇)を押し籠める片棒を担ぎ、今また盗み出す手助けをしたので、時の人は、中小別当と呼びました。大宮左大臣伊通公(藤原伊通)は、「この中は、仲媒([なかだち])の仲ではないぞ。忠臣の忠ではないか。光頼(源光頼)の忠告によって、すぐに考えを改め、賢者の余薫([先人の残した恩恵])によって、忠臣の振る舞いをしたのだから」と言いました。
(続く)