大衆これを見て、「ここに出で来る者は何者ぞ」と言ひければ、「これこそ聞こゆる修行者よ」「あら怪しからぬ有様かな。この方へ呼びてよかるべきか、捨てて置きてよかるべきか」「捨て置いても、呼びてもよかるまじ」「さらば目な見せそ」と申しける。弁慶これを見て、如何にとも言はんかと思ひつるに、衆徒の伏せ目になりたるこそ心得ね。善悪を外処にて聞けば大事なり。近付きて聞かばやと思ひ、走り寄つて見ければ、講堂には老僧児ども打ち交りて三百人ばかり居流れたり。縁の上には中居の者ども、小法師ばら一人も残らず催したり。残るところなく寺中上を下に返して出で来る事なれば、千人ばかりぞありける。その中に悪しく候ふとも言はず、足駄踏み鳴らし、肩をも膝をも踏み付けて通りけり。あともそとも言はば、一定事も出で来なんと思ふ。皆肩を踏まれて通しけり。階の許に行きて見れば、履物どもひしと脱ぎたり。我も脱ぎ置かばやと思ひけるが、脱げば禍を除くに似ると思ひ、履きながらがらめかしてぞ上りけり。衆徒咎めんとすれば事乱れぬべし。詮ずるところ、取り合ひて詮なしとて、皆小門の方へぞ隠れける。
大衆([僧])たちは弁慶を見て、「やって来るのは何者だ」と言いました、弁慶は「わしこそ噂の修行者だ」と答えました「なんという格好をしているのだ。こちらへ呼んでいいものか、放って置いたほうがよいものか」「放っておくのも、呼び寄せるのもよくないぞ」「目を合わせるな」と言い合いました。弁慶はこれを見て、何と言おうかと思っていましたが、衆徒([僧])たちが伏せ目になるとは許せない。善悪を言わぬとは一大事だ。近づいて聞いてやろうと思って、走りよって見れば、講堂([経典の講義や説教をする堂])には老僧稚児([小坊主])たちが入り混じって三百人余り集まっていました。緑の上(堂外)には中居([配膳係])の者たち、小坊主たちが一人残らず集まっていました。残る者なく寺中の上から下の者まで集まっていたので、千人ほどもいました。弁慶はその中を侘びもせず、足駄([下駄])で踏み、肩も膝も踏み付けて通りました。僧たちはあともそとも言えば([あともそとも言う]=[なにかひとことぐらい言う])、きっと一大事になると思いました。皆肩を踏まれて弁慶を通しました。階([上がり段])の近くに行って見ると、僧たちが履物をびっしりと脱いでいました。弁慶も脱ごうと思いましたが、脱げば禍を除くことになると思って、足駄を履いたまま荒々しく振舞って段を上がりました。衆徒([僧])たちは非難すれば騒ぎになるだろう。よくよく考えれば、弁慶に逆らっても無駄と思って、皆小門の方へ逃げ隠れました。
(続く)