弁慶思ひけるは、人の重宝は千揃へて持つぞ。奥州の秀衡は名馬千疋、鎧千領、松浦の太夫は胡ぐい千腰、弓千張、斯様に重宝を揃へて持つに、我々は代はりの無ければ、買ひて持つべき様なし。詮ずるところ、夜に入りて、京中に佇みて、人の帯きたる太刀千振り取りて、我が重宝にせばやと思ひ、夜な夜な人の太刀を奪ひ取る。暫しこそありけれ、「当時洛中に丈一丈ばかりある天狗法師の歩きて、人の太刀を取る」とぞ申しける。かくて今年も暮れければ、次の年の五月の末、六月の初めまでに多くの太刀を取りたり。樋口烏丸の御堂の天井に置く。数へ見たりければ、九百九十九こそ取りたりける。六月十七日五条の天神に参りて、夜とともに祈念申しけるは、「今夜の御利生によからん太刀与へて賜び給へ」と祈誓し、夜更くれば、天神の御前に出で、南へ向かひて行きければ、人の家の築地の際に佇みて、天神へ参る人の中に良き太刀持ちたる人をぞ待ち懸けたり。
弁慶は思いました、人は重宝([貴重な宝物])を千集めると言うぞ。奥州の秀衡(藤原秀衡)は名馬を千匹、鎧を千領、松浦太夫(松浦久=源久。松浦氏の祖)は胡ぐい([矢を入れる道具])を千腰、弓千張、このように揃え持つが、我らには揃える金もなく、買って揃えることはできぬ。よくよく考えて、夜になってから、京中に立って、人が身に付けている太刀を千振り奪い取って、わしの重宝にしようと思い、夜な夜な人の太刀を奪い取りました。しばらくして、「最近洛中に丈一丈(約3m)ほどもある天狗法師が出没して、人の太刀を奪い取っている」と噂になりました。こうして年も暮れ、翌年の五月の末、六月の初めには多くの太刀を奪い取りました。弁慶は樋口烏丸の御堂の天井に置いていました。弁慶が奪い取った太刀の数を数えてみると、九百九十九本でした。六月十七日に五条天神(京都市下京区にある神社)に参り、夜になると祈念して申すには、「今夜の利生([仏・菩薩(ぼさつ)が衆生に利益を与えること])にすばらしい太刀をお与えください」と祈誓し、夜が更けると、天神の御前に出て、南へ向かって行き、人の家の築地([土塀])の隅に立ち、天神へ参る人の中に良い太刀を持った者を待ち構えました。
(続く)