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「平治物語」待賢門の軍の事付けたり信頼落つる事(その10)

三河守頼盛よりもりは、郁芳いくはう門へ押し寄せて、「この陣の大将は誰人ぞ。名乗られ候へ」とのたまへば、「この手の大将は、清和天皇九代の後胤、左馬頭源朝臣義朝よしとも」と名乗つて、「悪源太は二度まで敵を追ひ出だすぞかし。進めや、若者」とのたまへば、中宮大夫進・右兵衛佐・新宮十郎・平賀四郎・佐渡式部大夫重成しげなりを姶めとして、我も我もと駆けられけり。右兵衛佐頼朝は、「生年十三」と名乗つて、敵二騎射落とし、一騎に手負はせて、殊に進んで駆けられけり。左馬頭のたまひけるは、「何と言へども、若者どもの戦するは、まばらに見ゆるぞ。義朝駆けて見せん」とて、真つ先に進まれければ、一人当千の兵ども、うち囲みてぞ戦ひける。




三河守頼盛(平頼盛。清盛の弟)は、郁芳門(内裏東面の門)を攻めて、「この陣の大将は誰だ。名乗られよ」と言えば、「ここの大将は、清和天皇九代の子孫、左馬頭源朝臣義朝(源義朝)だ」と名乗って、「悪源太(源義平よしひら。義朝の長男)は二度も敵を追い出したぞ。進み戦え、若者たちよ」と言ったので、中宮大夫進(源朝長ともなが。義朝の次男)・右兵衛佐(源頼朝は義朝の三男)・新宮十郎(源義盛よしもり)・平賀四郎(源義信よしのぶ)・佐渡式部大夫重成(源重成)をはじめとして、我先にと敵に駆けて行きました。右兵衛佐頼朝は、「生年十三」と名乗って、敵二騎を射落とし、一騎に傷を負わせて、さらに進んで駆けて行きました。義朝が言うには、「どう見ても、若者たちの戦い方は、まとまっていないようだ。わしが駆けて手本を見せてやろう」と言って、敵の真っ先に向かって言ったので、一人当千(千人力)の兵たちは、義朝を守り囲んで戦いました。


続く


by santalab | 2013-12-10 23:12 | 平治物語

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