源平互ひに入り乱れて、ここを最後ともみ合ふたり。孫子が秘せしところ、子房が伝ふところ、互ひに知れる道なれば、平家の大勢、陽に開いて囲まんとすれども囲まれず、陰に閉ぢて討たんとすれども討たれず、千変万化して、義平三方をまくりたて、面も振らず斬つて回り給ひしかども、源氏は今朝よりの疲れ武者、息をもつかず攻め戦ひ、平家は新手を入れ替へ入れ替へ、城にかかつて馬を休め、駆け出で駆け出で戦ひければ、源氏終に討ち負けて、門より外へ引き退き、やがて河をかけ渡し、河原を西へぞ引きたりける。
源平互いに入り乱れて、ここが勝負の分かれ目と争いました。孫子([兵法書])が秘密にする兵法、子房(張良の字。張良は高祖劉邦の軍師)が伝える兵法、源平どちらも知っていたので、平家の大勢の兵たちは、陽に開いて囲もうとしても囲むことができず、陰に閉じて攻めても討つことができません、さまざまな形に変化して、義平(源義平。義朝の長男)が三方から追い立て、まっしぐらに斬り回りましたが、源氏は今朝からの戦いで疲れていました、休みなく攻め戦いましたが、平家は新手を次々に入れ替えて、城(要塞)で馬を休めてから、駆け出し駆け出し戦ったので、源氏はとうとう討ち負けて、門より外へ出て、河を渡って、河原の西へ逃げました。
(続く)